(a)は、組織としての行動派の前史の年表です。(b)は、彼女たちの運動の特徴である街頭パフォーマンスアートのうち、フェミニストによるものの前史についての年表です。
(a)フェミニスト行動派・前史
2009年
9月
女性メディアモニターネットワーク、『女声』(電子報)創刊。
2010年
6月
ジェンダーと発展月例会、「女行フォーラム(Feminism in Action Forum)」と改称して再開
2011年
8月 「青年ジェンダー読書グループ(青年社会性別読書小組)」のメンバー募集
12月 北京益仁平センター、「女性の市民社会参与とジェンダー平等冬令営」の参加者募集
(b)フェミニストによる街頭パフォーマンスアート・前史
2009年
5月
24日 鄧玉嬌事件(娯楽施設に勤めていた出稼ぎ労働者が強姦されそうになって、加害者を殺してしまった事件)の際、中華女子学院の女子学生・蘭玉姣(自分の名前が「鄧玉嬌」と発音が似ているので、親近感を感じたという。武嶸嶸と記す記事もあり)が、北京のあるビルの前で、体に白い布に何重にも巻き付けて、横たわり、もがくというPAをした。これは、女性が何重にも束縛されていることを示すもので、そばには「誰」「都」「可」「能」「成」「為」「鄧」「玉」「嬌」(誰もが鄧玉嬌になるかもしれない)という9つの文字を書いた紙を置いた。
29日 中国民間女権工作室が、華中師範大学の北門で、何満子武漢大学生コミュニティネットワークのネットユーザーらと共に、鄧玉嬌についてのPAをした(写真を見るかぎり、4人の若い女性と2人の若い男性が参加)。まずメンバーたちが「誰が次の鄧玉嬌なのか」というスローガンを掲げて、紫妍(90後の大学生)が赤い×印を書いたマスクを身につけ、体を白いガーゼによって包み込むようにして縛られた。
2010年
3月
7日 揚州大学ニュースとメディア学院で、男子学生がハイヒールで競走するイベント(計画者:顔燕華)
4月
11日 広州市の地下鉄の複数の駅の美容整形の広告の前で、女子大学生たちが、「私は私の自然を愛する。美は愛するが、傷つけられはしない」と書いた揃いの黒いTシャツを着て、それらの広告を批判するパフォーマンスをしたのち、「愛美不受傷」と書かれた横断幕を広げるフラッシュモブ
2011年
11月
20日 深圳の手牽手工作活動室、男性労働者50人がハイヒールを履き、女性労働者30人が手錠を付けて歩くアクションより女性に対する暴力反対と女性の地位向上を訴える