一審原告最終準備書面より
「最終準備書面」第6章より――明らかにされた豊中市の陰謀
2月9日の「あなたしかいない」の意味――宮地弁護士の解説
判決について
判決内容の速報――市民感覚との大きなズレ
非常識で非論理的な「更新手続き」判断
「しょせん女の非常勤問題」というバイアス
控訴審
「控訴理由書」の要約
脇田滋意見書の要約
脇田滋意見書を読んで
第2準備書面を読んで
第3準備書面と求釈明の申立書
浅倉意見書・要旨
三井マリ子さんの『陳述書』からは、主に三井さんの側から見た、バックラッシュに屈して以後の豊中市らの動きの理不尽さ・怖さがリアルに伝わってきました。それに対して、『最終準備書面』の第6章「組織体制の変更に名を借りた原告排除」からは、豊中市らが裏で実際に何をしていたのかがよくわかりました。
この第6章は、さまざまな証拠や証言から推理するというミステリー的な面白さもあるのですが、明らかにされた真相は、周到にすすめられた陰謀そのものであり、心底ゾッーとさせられました。以下、簡単に紹介させていただきます。
豊中市とバックラッシュ勢力との間で、「三井をクビにする」という密約が成立したと思われる2003年5月下旬直後の6月9日、まず、市からの派遣職員である「すてっぷ」の山本瑞枝事務局長が、「館長職を常勤に変更する」という山本第2次試案(5月25日に密かに豊中市と協議して作成)を、会議の中で「資料」として提示します。しかし、議題にはせず、議論もしませんでした。そこには「非常勤館長職の廃止」という記載もありませんでした。
次に7月頃、三井さんの部下でもある山本氏は、上司との雑談を装って、仮定の話として「もし館長が常勤されたら」という話を持ち出します。三井さんは、山本試案をあくまで個人の試案だと思っており、館長首切り案だとも理解していなかったので、雑談の中で軽い気持ちで「無理よね」と答えます。すると、山本氏はすぐさまそのことを豊中市の本郷和平人権文化部長に伝えました。
その後の正式の会議などでは、山本第2次試案の議論も、常勤についての三井さんの意思確認も一切なされませんでした。山本第2次試案自体も、都合の悪い部分はずっと三井さんに隠し続けてきました。つまり、豊中市側は周到にも、後で「三井も知っていた」とか「了解した」とか主張するための口実作りを、この時点でこっそりしておいたというわけです。
こうしてアリバイ作りをした後は、豊中市の本郷部長の下、武井順子男女共同参画推進課長と山本氏だけで、非公式な協議を秘密裏に頻繁に行って、三井さんの首切り策やその場合の職員配置について策を練ります。
そして10月に、「非常勤館長職廃止による三井現館長排除、事務局長プロパー化」という案(乙8号証)を決定しました。候補者のリストも作り、同月20日に市長の了承も得て、打診をはじめます。
その後の11月になって、本郷部長は三井さんにはじめて口頭で「館長と事務局長を一本化する」という言い方(それゆえ三井さんは「常勤館長に一本化する」ことだと理解したし、理事長や副理事長も同じ理解だった)で組織変更のことを伝えます。
三井さんにようやく「事務局長だけにして、館長を廃止する」と伝えたのは、豊中市が桂さんに事務局長就任の受諾を決意させた後の12月19日のことです。しかも、その案が2004年1月に「常勤館長に一本化する」と変更されたことや、それを正式決定する臨時理事会の開催日(2004年2月1日)は、三井さんが問いただすまで隠していました。
要するに豊中市らは、三井さんが自らの「立場を守るためにしかるべき行動に出ることを妨げる」ために、「情報からの徹底した排除」をしてきたわけです(ファイトバックの会編集印刷版『最終準備書面』87-89頁、HP版『最終準備書面』163-166頁、頁数が異なる)。本当に卑劣なやり方だと思います。
さらに、その後の「すてっぷ」の実態はと言えば、「常勤館長」は名ばかりで、実際は乙8号証の構想どおり、単なる事務局長でしかありませんでした(桂証言)。バックラッシュに屈した豊中市は、「すてっぷ」から三井さんを奪ったのみならず、組織体制も「弱体化」したわけです。
また、第6章は、採用選考委員会の不公正さについても立証しています(印刷版 91-99頁、HP版169-185頁)。
一般的には立証が難しいこうした点に関しても、本郷氏が選考委員の1人であったということに加えて、さまざまな面(採用要綱に反してまで筆記試験をしなかったこと、本郷氏の桂さんへの「あなたしかいない」発言の意味の掘り下[http://fightback.exblog.jp/6258972]、本郷氏らが選んだ各選考委員の発言・行動、選考委員に先入観を持たせていたこと、三井さんより桂さんが常勤館長にふさわしいという合理的理由は被告側文書にも見当たらないことなど)から立証することに成功しているように思いました。
(2007年6月20日)
2004年2月9日に本郷和平部長が桂容子さんに「あなたしかいない」と言ったことが何を意味するかについて、昨日、宮地光子弁護士から、おおむね以下のような、掘り下げた解説がありました。
本郷氏は、次のように主張していました。(同氏は「すてっぷ」を所管する豊中市人権文化部長)
○「三井さんは常勤は無理だと言っていたから、常勤館長の候補には考えていなかった」
○「1月に採用選考委員会が設置されることになり、『これは大変なことになった』と思った。もし同委員会で桂さんが適任でないと判断されるようなことがあったら、『我々が辞表を出して謝って済む問題やないというふうに、私は覚悟を決めました』」(証人尋問での本郷証言)
ところが、
○1月末、三井さんが、常勤館長に応募する意思を明らかにし、2月1日の臨時理事会でもその意思を表明した。
○その一方で、桂さんは、2月9日、「豊中に行くことを保留にします」「三井さんが残りたいと言っているのに行く気はありません」と言った。
宮地弁護士は、「もしも本郷さんが言ってることが本当ならば、桂さんがそのように言ってくれたのを『これ幸い』とばかりに、彼女自らの意思を尊重して翻意を受け入れ、豊中に行くのをやめてもらえば、自分の責任問題が起きる可能性がなくなって、安心できたはずだ」と指摘しました。
「ところがそうするどころか、なお桂に『あなたしかいない』と言い切ったのは、それほどまでに本郷の原告に対する排除の意思が強かったということである。と同時に、選考委員会の結論を左右することなど、本郷にとっては極めて容易なことと考えていたことを示している。本郷の原告に対する排除の意思がそれほどまでに強かったのは、組織体制の変更そのものが、バックラッシュ勢力との密約により、原告の排除を目的としていたからである」(ファイトバックの会編集版『最終準備書面』92頁)。
きわめて明快な、胸のすくような指摘だと思いました。
宮地弁護士は、「もし、裁判所にこんな簡単な理屈がわからないようなら、どうかしている」と言いました。さらに、「2月9日に、桂さんに『三井さんが残りたいと言っている』と言っていれば、桂さん、(すてっぷに)行くのをやめていたと思いますよ。ところが、それをそうせずに、三井さんと桂さんという2人の女性の人生をもてあそんだ!」と強い怒りを表明なさいました。
いつもながらの、女性に優しく、女性の人権を踏みにじる者には厳しい宮地弁護士でした。
(弁護士解説つき交流会において)書き取れた限りで、判決内容の速報をさせていただきます。
判決の主文は、
「原告の請求をいずれも棄却する」「訴訟費用は、原告の負担とする」だったと思います。
三井さんも今日はかなり沈み込んでおられました。三井さんと個人的に親しいわけではない私も三井さんのこれまでのご苦労を思うと、とても胸が苦しくなりました。
控訴(2週間以内)は、もちろん、一番大変な三井さんのご判断しだいです。でも、もし控訴なさるなら、みんなで力いっぱい応援しようというのが法廷のあとの集会の雰囲気でした。
「弁護士解説つき交流会」での弁護士さんの解説によると、判決は全体として言えば、被告側のおかしい点は認めつつも、「原告に対して慰謝料を支払わなければならない程度の違法性はなかった」というものだそうです。
私はまだ判決文を読んでいませんし、口頭で解説を聞いただけですので、以下の記述は、その前提でお読みください。私の側に責任もありますが、判決文が論理的でないので、聞いても分かりにくいということも原因の一つだと思います。
判決は、非常勤労働者が期間の満了ごとに契約を更新している場合、雇用関係の継続の「期待」をすることは認めつつも、更新は「権利とまでは言えない(慰謝料の請求まではできない)」というものでした。「弁護士一同」の声明も、「契約の更新による期待権を認める1986年12月の日立メディコ判決最高裁判決からも後退する判決であって断じて容認できない」と述べています。
判決は、三井さんの館長としての実績は詳細に認定しました。また、全国公募なので「すぐに辞めさせると予定していたとは考えられない」とも言っています。また、企画・立案の仕事であり、「一定程度の更新を想定していた」ことも認めました。しかし「1人の館長が長期に独占することを想定していたとは言い難い」と言うのです(高橋叡子理事長と同じ!)
指定管理者制度との関係については、「指定管理者制度があれば、非常勤館長の廃止ができないというのではなかろう」(?)をというようなこと言っているそうです。どうも原告側の主張がわかっていないような議論をしているとのことです。
また、判決は、組織体制の変更を2004年4月に行わなければならなかった理由としては、「市派遣の山本事務局長が市に復帰する時期だから」という点だけを挙げているそうです(他の理由は挙げられない)。しかし、それに対して原告側が明快に反論しているのですが、それについては何の判断もしていないそうです。
すてっぷ予算案を昨年度のままで出したことについては、「手続きを急いでいたからだ」などと言っているだけです。実際は、法令(地方自治法、豊中市財務規則)違反なのですが。
組織体制の変更案が、第1次案、第2次案、B−4……と変わっていることについては、「二転三転としている」と、そのおかしさを認めつつも、「原告排除が目的ではない」と言います。その理由は「原告排除が目的なら二転三転する必要はない。実際の職員体制のために必要だから、調整した結果だ」というものです。理解しがたい論理です。
組織強化のために非常勤から常勤化したという市の主張に、原告側は組織強化になっていないと立証してきました。そして、桂館長も「組織体制の強化になっていない」との証言したのですが、「桂が『男女共同参画の仕事ができていないと感じている』ことは認められる」とだけ言っています。それが、「予算も職員もつかない」という「仕組み」のためであることを述べた桂証言を無視しているそうです。
そして、「そういう活動の低調さが見られたとしても、その原因は必ずしも明確ではなく、組織変更の結果であるとは認められない」と言っているそうです。寺沢弁護士は「こっちは機構図まで出して説明したのに‥‥。しくみの問題なのに、これじゃ桂さんのせいだといっているみたいで、桂さんにも失礼じゃないか」と言っておられました。
また、組織変更案を公開していなかったことや三井さんに後任の人事を秘密にしていたことについては、「原告に秘匿しなければならない必要があったとは考えられない」と、市のおかしさを指摘しています。しかし、判決は、三井さんに相談しなかった理由として、「退任する原告に細かな組織変更を相談してもしかたがない」などと言っています。この部分は、被告側も主張していないことを裁判長が勝手に認定しています。
なお、判決は、ここで、被告側の主張どおり、夏ごろの山本事務局長(市派遣)との雑談の中での三井さんの発言を「常勤は無理だ」という意思表示と見ているようです。許せません。
後任捜しについては、「原告に対して意図的に情報を秘匿していたことは明らか」と明快に指摘しています。しかし、「その真意は不明と言わざるをえない」(!)などと言って、「違法と言うことはできない」と述べます。
判決は、こんなふうに、事実を認定しておきながら、その理由を「不明」と言ったり、 変な理屈を言っている箇所が目立つそうです。
また、常勤館長選考前に、桂さんに「あなたしかいない」と言った本郷部長が選考委員であることについては、判決は、「公正さに疑念を抱かせる事情と言わざるをえない」と認めています。ところが、これに対しても、「本郷が選考委員として影響を与えた形跡はうかがえない」などと言うのです。
宮地弁護士によると、これは立証責任の問題であり、「この判決のような論理だと、選考委員会に隠しテープでも置いて、その記録を出さなければ立証できない」とのことです。
しかし、宮地弁護士は、「ここに、この判決の大きな矛盾がある」と言います。本郷部長が選考委員に入っていても「公正」だというのは、市民感覚と大きくズレているからです。ここで、宮地弁護士は、かつての住友電工男女差別裁判の主任弁護士として一審の全面敗訴を、二審で逆転勝利和解した経験を語られました。なぜ逆転勝利したかというと、一審判決は「昭和40年代の男女差別は、憲法には反するが、公序良俗には反しないので違法ではない」=「憲法には反するが、違法でない」というものだっただけに、市民感覚と大きくズレていたからだそうです。だから、女性たちの怒りの世論と運動が広がって、世論を動かした。それで裁判所も原告側の主張を認めざるをえなくなったのだといいます。
宮地弁護士は、「勝つ土台は作った。三井さん、負けたと言う必要はない」と力強くおっしゃっいました。
判決は、バックラッシュについても、バックラッシュ勢力の攻撃を受けたが、「屈したということはない」と言ってます。それなりに市は対応はしたということのようですが、島尾弁護士(だったと思う)は、「行政が(バックラッシュ派に)もっとやれ、もっとやれ、という筈はない」と言い、個々の攻撃だけでなく、市が追い込まれていった全体を見るようにしなければ、という趣旨の批判がありました。
北川悟司議員が、条例を攻撃していたにも関わらず賛成した点については、「同議員の所属する会派の行動だ」と言って済ませているようです。
とにかく判決全体として、事件全体を見るのではなく、個々の点をバラバラに判断して「違法までは言えない」という議論のし方をしているということでした。弁護団は、「そういう判断のし方ではいけない」ということを、今後強く言っていきたいとおっしゃっていました。
また、判決は、事実の認定と結論(法的保護に値するか)との間にそもそもズレがあり、ねじれ現象を起こしているということです。そこで、認定した事実をもっと突っ込んで分析するよう、今後、その点を突いていきたいとおっしゃっていました。
(2007年9月13日)
アップされた判決文、お読みになりましたか?
判決当日の私の報告は、交流会での弁護士のみなさんの話をほぼ網羅しているのですが、 今回、判決文を読んで、重要な箇所が1カ所、ノートできていなかったことに気が付きました。その箇所は以下の部分です(判決文 63-64頁)
「エ、更新における手続
(中略)
たしかに、3回の更新の際、人権文化部長が、『すてっぷ』に来館し、簡単に原告の意向確認だけをする以上に、原告に対して、面談がされたりするなどの事情は窺えない。
しかし、だからといって、更新の是非が実質的に検討されなかったということにはならない。少なくとも、3回にわたる更新時において、更新すべきでない事由があるにもかかわらず、十分な検討がなされないまま更新されてしまったという事情は窺えない。むしろ、原告のそれまでの活動から、更新に特に支障がなく、次年度も継続して勤務させることが相当であるとの判断がされていたと推認することが相当である。」
私も、当日、弁護士が何かこのあたりの話をして、非常に怒っておられたことは覚えています。でも、判決文の意味がよくとれなかなったので、ノートできなかったのです。今回、あらためて判決文を読んでみて、「ノートできなかったのも無理はない!こんなに非常識で非論理的な話を聞いて、その意味がわかる人がどれほどいるだろうか?!」と思いました。
この裁判では、被告側は、更新手続きについて、「事務局長が館長の業務執行状況を理事長に報告し、理事長が次年度の館長雇用を確認する」などと主張していました。
それに対して原告側は、
・「館長を補佐する」事務局長が館長の業務執行状況を報告するのはおかしい
・理事長は「今まで3年間で一度も館長と面会したことはない」と証言した
などの点を挙げて、「部長が、お願いしますと言いに来るだけの形式的なものであり、審査されることはなかった」と反論していました(最終準備書面7-9頁)。
今回の判決は、事実としては「人権文化部長」が「簡単に原告の意向確認」をするだけだった以上のことを認めていないにもかかわらず、こんな判断をしているのです。
裁判官に「更新手続きが形式的なものだった」と認めてもらうためには、労働者が解雇覚悟で、更新を拒否されるほどの失態や無能ぶりをわざとを示して、それでも幸運にも契約が更新されなければいけないのでしょうか? それとも関係者の出入りするすべての場所に不法に盗聴器でも付けて、24時間録音して「更新の是非が実質的に検討されなかった」ことを証明しなければならないのでしょうか? ひょっとしたら、そうした録音テープを提出しても、関係者の頭の中で「判断がされていたと推認する」のでしょうか?
この判決は、有期雇用者の解雇を、雇用主が完全に自由にできる判決ではないかと思いました。
(2007年9月29日)
13日、ドーンセンターで、記者向けの裁判報告会がありました。私も判決について何か書きたいと考えていたため参加しました。以下要旨の報告と感想を記します。
会場正面のホワイトボードには、以下のように「裁判の争点」が書かれました。
(1)非常勤館長の雇止めの違法性
ア 雇用契約更新に対する期待
イ 雇止めの必要性(組織変更の必要性)
ウ 雇止めの動機(不当目的の有無)
(2)常勤館長としての不採用の違法性
ア 優先的採用の義務
イ 選考手続きにおける不当目的(原告排除目的)の有無
ウ 選考手続きにおける手続き違反の有無
これは判決文でまとめられている争点です(10-11頁)。私は、報告を聞いて、この争点の多くは、「被告らがバックラッシュに屈したか否か」というポイント抜きには論じられないことをあらためて強く認識しました。
「雇止めの動機」における「不当目的の有無」についてはもちろんですが、「手続き違反の有無」などの争点についても、三井さんが言っておられたように、被告らがバックラッシュに屈して館長排除の密約を結んだということによってこそ、「法規に違反をしてまでもやった」という事実が説明できると思いました。
宮地光子弁護士が、判決と市民感覚のずれについて、2つの面から説得力ある説明をされました。
第一は、市民が「何でなの?」と思うところ。たとえば、判決が「(実績などから)契約更新に対する期待は認めることができる」と言いつつ、「その期待を法的に保護する事情までは存したとはいえない」と結論づけている箇所(62頁)があります。そこに関して宮地弁護士は、「この判決は、都合が悪くなると『法的』という言葉を出すが、一般市民に『では「法的」って何? どこまでが法的でなくてどこからが法的なの?』と聞かれたら、答えられないだろう」と指摘なさいました。判決が「慰謝料を支払わないといけない程度の違法性はなかった」(79頁)と言っている点に対しても、「市民は『では、どの程度から払うの?』と聞くだろう」とおっしゃいました。
第二は、逆に市民から見たら当然のことを、「不明である」としている点。三井さんに徹底して隠して三井さんの後任探しをしていたのは、「バックラッシュに屈して、三井さんを排除しようとしたから」で説明がつく。しかし、この判決は、それを否定したために、「(三井さんに秘密にした)真意は不明と言わざるをえない」などとしています。
また宮地弁護士は、この判決が「法的に保護する事情までは存したとはいえない」とか、「慰謝料を支払わないといけない程度の違法性はなかった」とか言っている点は、「『しょせん女の非常勤の問題だ』というジェンダーバイアスを強く感じる」と分析しました。さらに、「この判決は、まじめに事実認定をしさえすればわかる問題も、わかっていない」という点も指摘なさいました。
私は、宮地弁護士の話を聞いて、この判決は、その結論が、女性をはじめとした一般市民の利益と矛盾しているのはもちろん、その論理自体も、一般市民の感覚と矛盾しているし、そこが批判のしどころである、とあらためて感じました。
(2007年10月15日)
『控訴理由書』は86ページもありますが、判決の各箇所について、一つ一つ批判するスタイルで書かれていますので、決して読みにくくありません。私が判決文を読んだ際、ぼんやりと読みすごしていた箇所を含めて、判決のありとあらゆる箇所が、あらゆる角度から克明に批判してあります。
その一部について以下の3点に絞って要約しました(その際に、自分なりに言い換えていますし、厳密なものではありません)。全体の1/4ほどにすぎません。他の箇所も「なるほど」と思った点ばかりでした。
@組織変更がなぜ必要だったかについて、判決がただ一つ挙げた「山本事務局長の後任を市から派遣ができない」という点について
A判決がとくに冷淡だったバックラッシュ攻撃と豊中市の関係について
B弁護団が新機軸を打ち出した採用拒否の違法性について
原判決は、「2002年から条例の施行によって、市からの派遣に本人同意が必要になり、事業課長などの後任に問題が生じた。山本事務局長の派遣期間は2004年3月までであり、その後任を豊中市から派遣することが困難であることが喫緊の課題として浮上したため、組織変更を急がなければならなかった」と言う。
―しかし、組織変更は、そもそもは行財政改革の視点から長期的計画的におこなうものとして着手されていた。その具体化のために、2002年に山本第1次試案が作成されたが、市派遣に関する条例制定は当時から予定されており、織り込み済みである。山本事務局長も、自らの派遣期間が到来することは当時からわかっており、2003年春以降に、にわかに「喫緊の課題として浮上してくる」ことなどありえない。
―派遣期間(3年)の延長も可能である。実際、豊中市関係の財団や事業団では、派遣法試行後も、市からの派遣年数を3年以上に延長している例は多い。にわかに秘密裏に体制変更案を策定して、理事会や評議員会の意見も聞かずに、ことをすすめる理由などない。
―市も財団や山本自身も、市からの派遣の後任を全く捜そうとしなかった。このことは証拠上明らかだが、原判決は、この点について判断を全くしていない。山本自身の派遣期間延長についても、市や財団が考慮したり、山本が拒否したりした事実もない。この点も原判決は検討をしていない。原判決は、都合の悪い事実は無視しているのだ。
―財団は、山本第1次試案を2003年4月にヒアリングに出して、豊中市の了承を得ている。この時期は「事業課長などの後任に問題が生じた」直後なので、この問題が「喫緊の課題として浮上」てきたのなら、体制変更に向けて緊急の動きがあるはずだ。しかし、このヒアリングについて述べている山本陳述書には、どこにもそんな話はない。5月13日の評議員会でも、山本は「体制変更については秋頃に意見交換会を持ちたい」と言っており、緊急と考えていなかったことは明白である。
それなのに、実際は、評議員はもちろん理事の意見さえ聞かずに、10月に豊中市だけで組織変更案を決定したのは、5月13日以降に別の緊急事態(=バックラッシュ勢力との裏取引による、三井首切りの必要)が発生したからである。
原判決は、バックラッシュ勢力の活動をバラバラにとらえて、そのいずれも大きな影響力はなかったとして、豊中市がそれに屈服した事実はないとしている。
しかし、この認識は、バックラッシュ勢力の力を過小評価しており、実際の攻撃の激しさや、全国各地の自治体がその影響をどれほど強く受けているかという実態を看過している。
バックラッシュ勢力は日本会議が中心になっているが、日本会議は与野党の多数の有力政治家や全国的宗教組織が中心で、その影響力は非常に大きい。バックラッシュ勢力に対して自治体がいかに弱腰かは、最近のつくばみらい市のDV防止講演会中止事件をひとつ見てもわかる。高開千代子、木村民子の陳述書も、それぞれ徳島県と文京区で、バックラッシュ勢力に自治体がいかに影響を受けて、いかにやすやすと男女共同参画推進を自主規制させられたかを示している。
ア 原判決は、「2002年7月から始まったすてっぷの活動に反対する意見を持つ団体の活動は、貸室をめぐっての一種の示威的な行動があったにすぎず、豊中市が何らの憂慮を抱いた様子は認められない」とする。
―しかし、そうした示威的行動は、男女共同参画推進条例反対のバックラッシュ攻撃の時期におきた。また、その行動をした者が北川議員の後援団体に所属していた点から見ても、条例阻止運動と連動する示威的行動である。
―そもそも自治体においては、もめごとなく議案を成立させるために、根回しや気遣いをすることは一般的である。豊中市も、条例反対勢力に対しては、節を曲げてまで、目的外使用を目的使用として貸室を認めた。騒がれることを畏怖して節を曲げる、これが憂慮でなくて何なのであろうか。
―山本事務局長が2003年4月に作成した文書にも、条例の上程がバックラッシュによって阻害されたことについて、「このような状況を憂慮[することは]……自然な心情」だと書かれている。
―2002年秋ごろから、バックラッシュ攻撃に山本事務局長がいかに苦慮していたかについて、原判決は認定から落としているが、豊中市民らの陳述書は、それを詳細に示している(豊中市民各位の陳述書)。石原敏などの陳述書も、豊中市が北川議員やその関連団体に対して度を越した配慮をし、増木氏らの威嚇に萎縮して様子をありありと示している。
イ 原判決は「そもそも、密約が成立するためには、バックラッシュ勢力として、条例制定を認めてもかまわないから、控訴人を館長からおろすことを優先したということが前提になるが、そこまでの意図は認められない」と言う。
―しかし、控訴人はジェンダー平等の旗手の一人として著名であり、かつ豊中市で活動を精力的にすすめており、バックラッシュ勢力は苦々しい思いでその活動を見ていたと思われる。
―「新政とよなか」は、条例反対の姿勢を打ち出していたが、長年にわたり市長の第2与党としての立場があった。だから、最終的には市長提案の条例賛成に回る代わりに、その代償として控訴人を豊中から追い出すことができればよいと考えたのであろう。
―バックラッシュ勢力は、すてっぷに揺さぶりをかけるとともに、控訴人を貶める事実無根の噂を流した。その他、彼らの「三井は辞めさせなきゃいかん」(三井陳述書より)、「三井を辞めさせてやる」(坂本陳述書より)という発言からも、彼らが控訴人を辞めさせる強い意志をもっていたことが伺える。彼らが、控訴人を武生市のオンブット職から引きずりおろすことまで企図したことは、控訴人への攻撃の強さを示している。
―条例上程断念から再上程までの間に、すてっぷの組織変更問題が急浮上し、秘密裏に不自然・不透明な動きを進めた(この点は原判決も認めている)という裏には、密約の存在を考えざるをえない。
また、原判決は「ファックス文書事件は、明示的で強い行動だが、豊中市は謝罪してないので、屈したとは言えない。また、条例が制定された後のことだから、密約が存在した根拠にはならない」と言う。
しかしながら、恫喝が条約成立後に及んだのは「自分たちは約束を守った、豊中市も密約を必ず履行するように」との念押しするためである。だからこそ、暴力的で激しいものになったのである。
豊中市は、この恫喝に対して、その責任をすてっぷの事務局長と控訴人に負わせて、「始末書」への署名・押印を求め続けた。すなわち、既にバックラッシュ勢力に屈服していた豊中市は、控訴人が有責であるということを文書で残すことに汲々としたのである。
ウ 原判決は「市議会副議長は、『専業主婦はIQが低い』という発言の噂を本郷部長らに告げたが、それ自体に問題はなく、また本郷らも即座にそれを否定している」と述べている。
しかし、噂を伝えた市議会副議長は条例反対派であり、本郷らにだけでなく、他の職員やあちこちでこの事実無根の噂を流している。本郷らにこれを告げたのも事実確認でなく、噂の流布であり、批判であると言うべきである。
この副議長の発言に対し、控訴人が事実をはっきりさせたいとして副議長に会いに行こうとしたのを、本郷らは阻止した。その行為は、事を荒立てたくないためのものであり、まさにバックラッシュ勢力の動向を憂慮したものである。
エ 原判決は、2003年6月3日、豊中市の本郷部長・武井課長・米田主幹が、男女共同参画条例可決に向けて積極的に運動していた市民に対して、それまでの態度とはガラリと変わり、行動を抑えようとする発言を縷々おこなった事実をまったく無視している。
「組織変更」という手を使いさえすれば、三井さんのこれまでの実績を考慮に入れずに理不尽に首を切ってしまえるとした豊中市のインチキ論理を、従来の判例を踏まえつつ打ち破っていて、私は興味深く思いました。
2.優先採用の義務の否定について(p.59-66)
原判決は、今回の常勤館長の採用試験は「新たに、複数名の候補者の中から選任する手続であるから、裁量の幅は広い」と述べている。しかし、以下の(1)〜(4)のとおり誤りである。
(1)本件有期契約の趣旨について
原判決は、「すてっぷ」の館長を有期雇用にしていたことの合理的理由が明らかでない。
すなわち原判決は、せいぜい「『すてっぷ』の性格から、一人の館長が、館長職を長期間独占することを想定しているとは言い難い」としている程度である。しかし、組織変更によって「すてっぷ」の館長職が常勤化されたことから考えても、そうした理由には合理性を認められない。
館長職を有期雇用にしていたことを合理的に説明しようとすれば、結局、有期契約の期間を、試用期間と同様のものとして理解するしかない。
というのは、財団は、「すてっぷ」の初代館長を公募・非常勤で採用したわけだが、公募のデメリットとして、「採用決定した人材が合わないかもしれない」「連携・人間関係形成に時間がかかる」などの点を挙げている。その一方、非常勤のメリットとして「雇用関係を解消しやすい」ことを挙げている。
すなわち、館長職を有期雇用にしたのは、採用した館長の適性(=合うかどうか、連携・人間関係形成が可能か)を、一定の期間をかけて評価するため、と考えられる。
(2)試用期間後の本採用拒否についての最高裁判例
判例によると、今回の有期雇用は「試用期間」であると考えられる。試用期間後の本採用の拒否は、「客観的に合理的な理由があり社会通念上相当として是認される場合」だけにしか許されないとされている(神戸弘陵学園事件最高裁判決:1年の期限付き常勤講師として雇われた職員が、その期限満了をもって辞めさせられた事件)。すなわち、使用者に広範な裁量権は許されない。
(3)本採用拒否の制限と優先採用の義務
「すてっぷ」の館長を有期雇用にしたのも、採用した館長の適性を一定の期間をかけて評価するためであると考えられる。すでに更新を3回にわたって繰り返していることで十分な期間が経過しており、控訴人に館長としての適性に問題がないことは明らかである。
したがって、財団側が、常勤館長の採用を拒否しうる「客観的合理的な理由」を明らかにしないかぎり、控訴人は採用を期待しうる地位にある。したがって、財団は、控訴人と他の応募者を同列に扱うことは許されず、控訴人を優先的に採用する義務を負う。
(4)組織変更前後の業務の同一性
なお原判決は、本件の採用に関して、パートタイム労働法指針の適用について判断した箇所で、「組織変更後の常勤館長は、事務局長を兼務するから、それまでの非常勤館長とは業務内容が相当異なる(から適用できない)」と述べている。
しかし、原判決のこのような業務内容の把握は、実態を無視した不当な認定である。
すなわち、2003年12月、桂が本郷に、「事務局長の仕事は、私には困難だと思う」と述べたのに対して、本郷は「そうした事務の仕事は、総務課長がするので心配ない」と述べている。とどのつまり、事務局長の任務はほとんど重要視されていなかった。となれば、本件は、試用期間後の本採用拒否に等しいと言える。
(2008年2月27日、3月4日)
大阪地裁判決は、有期雇用契約について、「契約更新について当事者の間に合意が存在しないかぎり、期間満了によって雇用契約関係は終了する」としている。この解釈は、従来の判例の動向に反しているとともに、それを踏まえた近年の労働基準法改正や労働契約法の意義を全く理解していない点で根本的欠陥がある。
日本の裁判所は、有期雇用契約が解雇権濫用を制限する法理を回避する手段にならないようにしてきた。とくに最高裁の東芝柳町工場事件判決は、採用、雇い止めの実態、会社側の言動を重視し、解雇相当の理由がないのに雇い止めをすることは許されないとした。最高裁の日立メディコ判決も同じである。下級審も、更新回数や雇止めの実態などを踏まえた判断をしてきた。
また、2003年に改正された労働基準法は、第18条の2で「解雇は、客観的に合理的な理由を欠き、社会通念上相当であると認められない場合は、その権利を濫用したものとして、無効とする」と定めた(現在は労働契約法第16条)。
最近登場した有力な学説(川田知子氏)は、「労基法18条の2にもとづけば、解雇制限に関する法律の規定を回避する目的で締結した有期雇用契約は脱法行為であり、違法である。それゆえ、労働契約の期間が、客観的に合理的な理由なく定められたときは、その労働契約は期間の定めのないものと見なさなければならない」とする。川田氏は、ドイツでは、1951年に「解雇制限法」が制定されたのちに、有期雇用契約が解雇の制限を逃れるための脱法行為に利用されないように、有期雇用契約には合理的・客観的な理由が必要であるとされたことを踏まえている。
筆者(脇田)も川田氏の指摘は的を得ていると考える。しかし、筆者は、主に2003年の改正労基法が新設した第18条の2自体、解雇について新たな規制内容を導入したものではなく、既に判例として確立した濫用的解雇制限法理を立法的に確認したことを重視するべきだと考える。そうであれば、18条の2を待つまでもなく、使用者側に解雇制限法理脱法という意図がないと言えないかぎり、契約期間設定自体が無効であると解する必要があると考える。
それでは「客観的に合理的な理由」というのは、どういう場合か? その点については、ILO158号条約やEUなどの考え方に基づき、18条の2適合的目的解釈としては、以下の場合だけに、労働契約に期間を定める合理的理由があると推測される。@臨時的・一時的な業務、A恒常的業務であるが、それが臨時的・季節的に増大する場合、B試用期間、C特別な雇用創出政策目的の場合。
この合理性の立証責任は、期間設定により大きな利益を得ると考えられる使用者側に負担させるべきである。
地裁判決は、契約期間設定に対して解雇を制限する確立した判例法理やそれを確認した強行規定(労基法)の存在についてまったく考慮せずに、逆に、契約更新の合意の存在の立証を労働者側に課している点で根本的に判例法理や法令の解釈を誤っている。
本件の契約は1年契約であり、本来、期間設定そのものが前述のとおり解雇制限に反する疑いが強いと考えられるが、少なくとも解雇(雇止め)である。あくまでも使用者側の都合と主導による「組織変更」が雇用契約終了の主因なのである。使用者側都合による解雇については、多様で巧妙な責任回避策が採られるという視点を持つことが重要である。形式的な判断ではなく、実質的な検討が重要であり、解雇責任回避でないことについて立証責任を使用者側に転換することを含めた判断が必要であり、地裁判決には、この点が全く欠落している。
使用者側都合による解雇は、「整理解雇」として、とくに解雇権濫用という視点から、厳しい要件を課す判例法理が形成されてきた。通常、(1)人員整理の必要性、(2)解雇回避努力、(3)人選の合理性、(4)労働者への説明などがなければ、濫用的な解雇として無効とするのが多数の判例である。本件についても、整理解雇の法理を類推適用して(ただし今回の事件は、集団的整理解雇事件ではないので、上の(3)の「人選の合理性」の判断は除く)、以下の3点に留意して判断するべきである。
(1)館長常勤化の業務上の必要性
(2)解雇回避努力
(3)労働者への説明
「(1)館長常勤化の業務上の必要性」について言えば、業務上の必要性が明確でない。非常勤館長で大きな不都合はなく、事業自体は原告の熱心な取り組みで順調に展開していたのであって、常勤館長への組織変更の必要性が何かについて大きな疑問が残る。
「(2)解雇回避努力」については、パートタイム労働法の趣旨に基づく、常勤館長への優先転換に関する配慮義務がより強く求められるべきである。しかし、被告は信義に反した恣意的な対応に終始し、この義務を尽くさなかった(後述)。
「(3)労働者への説明」について述べると、従来の館長職を改めて新たな制度に組織変更するときは、従来の経験者に意見を聞きながら改善点を踏まえて、組織構想を立てるのが一般的である。
筆者も公立大学(京都府立大学)と私立大学(龍谷大学)に約30年間所属し、多くの組織変更を経験したが、今回の事件では、通常なら当然行うべき従来の責任者(原告)への聞き取りや相談がほとんど行われずに進められたことに、とりわけ強い疑問を感ずる。組織変更の常識に反する異常な経過である。ところが、地裁判決はこの点について使用者側に立証責任を課すこともなく、実質的判断を避け、形式的判断で済ませている。
これまでの館長職の問題点や課題を一番知っているのは館長であるのに、本件では、その意見を聞くこともなく組織変更が進められている。ここからは、本件組織変更が原告排除を意図することが疑われ、そうでないことを使用者側が立証する責任があるとするべきである。
期間を定めた労働契約の1回目の期間満了の段階でおこなわれた更新拒否について、その有期契約の期間設定の性格を試用期間とみなして、その法的効力を判断した判決(最高裁・神戸広陵高校事件判決)がある。
本件は、たしかに広陵高校事件と異なり試用期間という明確な合意はなく、全国公募の館長職として選考の段階で高い能力を認めて採用された事例である。しかし、「新規事業が順調に発展しない場合には更新されない可能性があることから、期間を定めた契約にした」ことを被告側は指摘している。つまり、本件の有期契約には、事業が順調に発展することを要件として雇用を継続し、そうでなければ雇用が継続されないという意味で、文字通りの試用期間ではないにせよ、試用期間に類似した性格があったと考えてよい。
そうすると、原告が事業の発展に大きく寄与してきたにもかかわらず、その雇用を継続しないことにするためには、特に客観的に合理的な理由が必要とされるとともに、とりわけ信義誠実に原告に対応し、その納得を十分に得ることが必要不可欠であったと考えられる。
2007年改正の「パートタイム労働法」は、パートタイマーの通常労働者への転換を推進する措置を講ずる事業主の法的義務を定めた。
たしかに厚労省の行政解釈によれば、第12条が事業主に求めているのは、パートタイマーを通常の労働者に転換するための「機会の付与」にとどまる。しかし、この行政解釈によっても、転換推進措置については、「一定の客観的ルールに沿って公正に運用される制度となっていなければならない」とされている。
2007年改正の「パートタイム労働法」は、2008年4月に施行されたものだが、本件当時、すでに「パートタイム労働指針」が出されており、「事業主は、通常の労働者を募集しようとする場合は……短時間労働者に対して、あらかじめ当該募集をおこなう旨及び当該募集の内容を周知させるとともに……希望する者に対し、これに応募する機会を優先的に与えるように努める」としている。
財団は、男女共同参画推進事業を率先して推進する団体であり、多くの女性が非正規雇用としてパートタイムで就労している状況の改善の必要性を社会的に啓蒙・普及する立場にある。その点で、パートタイム労働法や指針について消極的な主張をすることが許される立場にはない。
そうすると、被告は、少なくとも、原告に対して常勤館長に転換するための措置、すなわち募集や配置についての周知と機会の付与を公正におこなうことが義務づけられていたことになる。被告がこうした義務を尽くしたとは考えられない。
ところが、地裁判決は、この公正な機会を付与する被告の義務をまったく無視しており、複数選考の場合には選考側により広い裁量が認められるとするなど、関連法令についての無理解に基づく、明らかに誤った判断をしている。
(2008年6月15日)
私は、脇田意見書は先進的な内容を含みつつ、着実な論理が展開されていて、多くの人が納得できる意見書だと思いました。また、さまざまな点について、地裁判決が立証責任をすべて原告に負わせていることの不当性を指摘している点も特徴だと思います。以下、とくに興味深かった点を述べてみます。
まず、「1 雇用契約の定めと更新の合意」の節では、
脇田さんは、2003年に改正された労基法第18条の2(現在は労働契約法第16条)の「解雇は、客観的に合理的な理由を欠き、社会通念上相当であると認められない場合は、その権利を濫用したものとして、無効とする」という規定から見て、客観的に合理的な理由なき(ex.自由に首切りできるための)有期雇用契約はそもそも無効だ(=期間の定めのないものとして扱わなければならない)と指摘しています。この点は論理的に考えると当然であり、「なるほど!」と思いました。
脇田さんは、ドイツで「解雇制限法」が制定された後の実際の動向を踏まえた川田知子氏による最近の有力な労基法解釈の学説を参考にして上のように論じています。それにくわえて、脇田さんは、労基法第18条の2は、最高裁・東芝臨時工事件判決や日立メディコ事件判決以来すでに判例として確立したものを立法化したものであることも指摘しています。また、日本未批准のILO158号条約やEUの動向についても、第18条の2の適合的目的解釈(その条項の目的に合った解釈という意味でしょうか?)をするための手段としてうまく活用しておられると思いました。
「2 雇い止めの有効性」の節では、
脇田さんが30年以上大学教員として(学部長も務められたそうです)さまざまな「組織変更」をした経験から見ても、三井さんの事件では「通常なら当然行うべき従来の責任者(原告)への聞き取りや相談がほとんど行われずに進められたことに、とりわけ強い疑問を感ずる」と述べて、「組織変更の常識に反する異常な経過である」とずばり指摘しています。
脇田さんによると、同僚の労働法学者の萬井隆令さんも「こんなやり方で組織変更することはありえない。人をばかにしている」とおっしゃっていたそうです。
脇田さんは、さらに「これまでの館長職の問題点や課題を一番知っているのは館長であり、その館長業務の履行について高い評価を受けてきた原告の意見を聞くなど、尊重することが当然であるが、本件では、その意見を聞くこともなく組織変更が進められている。これは……本件組織変更が原告排除を意図することが疑われることになり、そうでないことを使用者側が立証する責任があるとするべきである」と、立証責任の問題も指摘しています。本当にそのとおりです。
「4 常勤館長への優先転換に関する配慮義務」の節では、
現行のパートタイム労働法第12条で定められている「パートから通常労働者への転換推進措置」は、厚労省の行政解釈によっても「一定の客観的ルールに沿って公正に運用される制度となっていなければならない」とされていることを述べています。パート法改正前のパートタイム労働指針も、通常労働者の募集を行うことやその内容をパートタイマーに「あらかじめ周知させるとともに……応募する機会を優先的に与える」としていることを指摘しています。三井さんの常勤への転換問題をめぐる豊中市の虚偽や情報秘匿、不公正さというのは、こうしたルールにも完全に違反していると感じました。
脇田さんは、財団は「男女共同参画推進事業を率先して推進する団体であり、多くの女性が非正規雇用としてパートタイムで就労している状況の改善の必要性を社会的に啓蒙・普及する立場にある」「その点で、パートタイム労働法や指針について消極的な主張をすることが許される立場にはない」と指摘しています。財団は上のようなルールを完全に無視したことについて、襟を正さなければならないと思います。
(2007年6月7日)
第2準備書面は、2つの点を論じています。一つは被控訴人(被告)側が控訴審になって出してきた「乙34号証」について(「乙」=豊中市の意。甲=原告、丙=財団)、もう一つは、山本事務局長の派遣延長の問題に関する一審判決の誤りについてです。
豊中市は、第一審では、「乙34号証」のうち、3頁目のみを「乙8号証」として提出し、他の頁を提出しませんでした。「乙8号証」(乙8)というのは、山本事務局長と武井男女共同参画推進課長とが、2003年8月下旬からひそかに協議を重ねて作成した「すてっぷ」の組織変更案です。10月上旬には本郷部長も入って完成したもので、「非常勤館長職を廃止(して「現館長[=三井]」を排除)し、事務局長に一本化する」ことが書かれていました。
今回、控訴人(三井)の求釈明(説明を求めること)に答えて、被控訴人側は、初めて他の頁を含めて「乙34号証」として提出してきました。その1〜2頁目には、乙8を作成するために武井課長と山本事務局長が協議をした段階での考え方が書かれており、そこを読むと、以下の2点が明確になったようです。
1.早くから一貫して非常勤館長の廃止だけは決めていたことが明瞭になった。
乙34の1〜2頁を読むと、武井課長と山本事務局長の2人は、早くから一貫して「非常勤館長職を廃止して、事務局長に一本化する」と決めていたことがわかりました。
山本事務局長は、陳述書などでは、10月中旬に乙8を作成した際、「一元化後の職名が館長ではなく、事務局長」であることが問題であったなどと主張していました。しかし、上で述べたように、乙34の1〜2頁からは、組織変更案は、すでに事務局長一本化案に決まっており、山本氏はそのことを先刻承知していたことがわかるので、山本氏の主張は全くおかしなことになります。
要するに、乙34の1〜2頁からは、乙8を作成する以前から、三井解雇だけは、いち早く決めていた事実が明らかになりました。そのことを隠蔽するために、一審では、乙34全体を提出せず、3頁目のみを提出したわけです。
2.豊中市らが組織変更の理由として挙げていた、山本事務局長の後任派遣問題は、後日、考え出された口実にすぎないことがより明確になった。
豊中市や財団は、裁判では、組織変更が必要だった理由として、山本事務局長の派遣期間が切れることや、その後任を市から派遣することも困難だったことを挙げていました。
しかし、乙34の1〜2頁からは、武井課長と山本事務局長が協議をしていた段階では、一本化後の事務局長には、市からの派遣(山本事務局長自身or他の市派遣)を当てる考えであったこともわかりました。乙8を決定する段階になって、はじめて本郷部長らは、事務局長にプロパーを当てる案に急遽変更したのです。この点について、第2準備書面は「プロパー化案を取ることによって、組織強化の体裁がより強調でき、三井館長排除を目的とした事実がカムフラージュできると判断したためであろう」と推測しています。
いずれにせよ、乙34号証からは、派遣期間切れになるという山本事務局長自身が、「2004年から市派遣を当てる」ということで、ずっと協議を重ねてきていることがわかったのです。ですから、被控訴人らが裁判で「組織変更の理由」として主張している、「山本事務局長の派遣期間が切れ、その後任を市から派遣することも困難だった」ということは、後日、考え出された口実にすぎないことがより明確になりました。
一審判決は、被告側の主張に沿って、「事務局長などのポストが豊中市からの市職員の派遣でまかなわれていたが、2004年で任期が切れる山本事務局長の後任を派遣することが困難だったので、組織体制を変更する必要があった」と言っています。
この判決は、法律で派遣期間の延長が2年できることになっているにもかかわらず、山本事務局長の派遣期間を延長すればよかったという点や後任の適任者もたくさんいたという点について全く考慮していません。こうした点については、すでに控訴理由書でも詳しく批判していますが、今回、さらに議論を展開しています。
私は、そのうち、今回、控訴人(三井)の求釈明に答えて豊中市が出してきた資料から、「2008年2月1日現在、全体の5人に1人が派遣期間を延長している」ことが判明したということが特に興味深かったです。山本氏は、「派遣3年の原則を人によって曲げることをしてはならない」と言っていますが、そのような言い分が成り立たないことが明らかになったからです。
もちろん、上で述べたように、乙34の1〜2頁の記述から、山本事務局長の後任派遣問題は後日、考え出された口実にすぎないことが明瞭になったという点も指摘されており、この点も重要だと思いました。乙34で「事務局長を市派遣にする」とされていた時期にも、後任はまったく探しておらず、「探してもいないのに、事務局長の派遣は困難などと言うことはない」と指摘されています。
やはり被告側が資料を隠していたのは、隠していただけの理由があるものだと思いました。
(2008年8月7日)
「第3準備書面」では、2004年度の予算要求に関して、被控訴人(豊中市と財団)側が、控訴審では一審と異なる主張をしていることから出てきた矛盾を突いています。控訴審では、被控訴人側は開き直って、三井排除の「すてっぷ」組織変更案(乙8)について、市長にまず見せたことを認めたのですが(第1)、それによって、新たなボロがいろいろ出てきた(第2〜第6)ということのようです。
「求釈明の申立書」で、被控訴人側にそれらの点について質しています。
以下、正確ではない部分もあると思いますが、自分なりにまとめてみました。
一審では、被告側は、以下のように主張してきた。
・「すてっぷ」のあり方に関して、人権文化部長と財団事務局長が、2004年度の補助金を財政当局に予算要求するため、目指すべき方向性の案をまとめた(乙8号証)。
・まず財政当局に「考え方」「方向性」の理解を得なければ、その後の予算額の折衝に進めないからである。
(注:「乙8号証」の内容は、非常勤館長職を廃止して、「現館長[=三井]」をやめさせるというもの)
ところが、控訴審では、被控訴人側は次のように主張を変えた。
・10月中旬、市長に「組織変更案の内諾」を得て、「予算確保の目処」をつけた。その後、正規の手続きをとった。
・「実務では、新規施策や政策的な変更を伴う予算要求を行う場合には、財政当局への説明の前に、市長に考え方を説明して理解を得ておくことがおこなわれている。控訴人(三井)の主張は、実務を知らない主張である」。
だとすると、一審で、被告側が「まず財政当局に『考え方』『方向性』の理解を得なければ、その後の予算額の折衝に進めない」と言っていたのは、いったい何だったのか?
乙8の作成日は10月15日であり、その後の「正規の手続き」のためのものではなく、市長に示して了解を得るためのものであろう(そのことは被控訴人側も認めている)。
結局、第一審での被告側の主張は、市長が決めたことを隠すための主張であったことがわかる(弁護士さんよると「一審で勝ったので、控訴審では開き直ったのではないか」という話です)。
豊中市財務規則第6条は、財政部長が精査・調査するように規定している。しかし、本件では、最初から最後まで財政当局抜きに決められており、豊中市財務規則を無視している。
被控訴人は「実務を知らない主張である」と言うが、控訴人は実務に詳しい人にも聞いて主張しているのであり、豊中市財務規則第5条・第6条に違反する予算要求実務はよほどのことがない限り行われることはない。とりわけ、豊中市は1999年に「財政非常事態宣言」を出しており、その後は、規則に則った厳正な手続きが取られているはずである(弁護士さんよると、少なくとも他市の場合はそうだということです)。
本件では、豊中市財務規則6条に違反しており、地方自治法や同施行令にも違反している。
被控訴人側は、「2004年度の予算要求説明書は、10月31日の事務局運営会議に諮られて確定し、11月5日頃に豊中市に提出した」と主張してきた。
ところが、10月中旬には市長に乙8を見せて、組織変更案の内諾を得て、2004年度の予算確保の目処がついたのであるから、通常なら10月31日の財団の事務局運営会議には、「考え方」「方向性」としての乙8が諮られるはずである。
けれども、実際に事務局運営会議に諮られたのは、「とりあえず、現行、2003年度の人員体制」での予算要求説明書である。
なぜこんなことをしたのか? 控訴人に事務局組織体制の変更内容を秘匿するためである。
1.被控訴人は、2003年10月30日に理事長に乙8を示して、組織体制の変更について説明したとするが、これは理事長の理事会(2004年2月1日)での発言と明らかに異なっている。
理事長は、館長と事務局長の一本化について「大きな体制」について聞いたとしており、「館長を置かない」案である乙8を示して、事務局長に一本化すると説明したとは到底思えない。
2.10月30日、財団の理事長は、館長と事務局長との一本化については、まず「館長を含む事務局が相談」するように言った。
しかし、理事長の指示に反して、組織体制の変更を「館長を含む事務局」には諮らなかった。その翌日(31日)、事務局運営会議に諮られたのは、「とりあえず、現行、2003年度の人員体制」での予算要求説明書であった。
これは、控訴人に組織体制の変更の内容をあくまで隠し通す意図であったことを示している。
被控訴人側は、2004年度の組織体制の変更の必要性を、「財政」との関係でも説明してきた。
しかし、財政当局も無視して、市長が了解して「予算確保の目処」がついているのであるから、2004年度の組織体制の変更は、財政とは関係がなかったのである。
一審判決は、財政の問題について、被控訴人らが主張もしていないことを、自分でいろいろ記載している。
しかし、財政は関係がないことが、いっそう明らかになったものであり、被控訴人らの主張によっても、「財政」は(組織体制の変更の)2004年度実施を不可欠とする理由にはならない。
上で述べたように、被控訴人は「実務では、『新規施策や政策的な変更』を伴う予算要求を行う場合には、財政当局への説明の前に、市長に考え方を説明して理解を得ておくことが行われている」と主張している。
本件は「新規施策」ではない。
とすれば、「政策的な変更」である。すなわち、被控訴人らは、バックラッシュ勢力に対峙していた姿勢をやめ、バックラッシュ勢力に屈するという政策変更をしたのである。
「求釈明の申立書」では、たとえば以下のようなことを質しています。
1 財政課への予算要求書提出の前に市長の内諾を得て、「予算確保の目処」を得ることは、通常行われているのか。どの程度の頻度で行われているのか。(毎年、2,3カ年に1回位、滅多にない。)
2 1999年に豊中市が財政非常事態宣言を出してから、2003年までの間に、上のようなことは何回行われたか。
4 豊中市は「候補者の一覧表を市長に示して了解を得た」と言うが、市の外郭団体である財団のような団体の事務局の人事について、まず市長の了解を得ることは通常行われているのか。通常は行われていないとしたら、どのような事情があったのか。
9 本件における「政策的な変更」とは、具体的に言うとどのような政策変更か。
(2008年9月21日)
人格権とは、「身体・健康・自由・名誉など人格的属性を対象とし、その自由な発展のために、第三者による侵害に対して保護されなければならない諸利益の総体」(五十嵐清『人格権』)である。民法はこれを「個人の尊厳」という言葉で表現している。
労使関係においても、当然、人格権が保護されるべきであり、職場において、もし労働者の身体の安全、行動の自由、名誉、尊厳、プライバシーなどの人格的利益が違法に侵害された場合は、損害賠償や差止請求が救済手段として認められてきた。
近年では、セクシュアルハラスメント、労働者の身だしなみ規制・教育訓練内容、職場のいじめ、労働者の健康のプライバシーなどをめぐる裁判例が見られる。
職場の場合、なんといっても特徴的な事案は、使用者による労働者の人格権侵害行為である。雇止めにおける差別的取扱いが人格権侵害に該当するという判決もある。昭和町の嘱託職員不再任(雇止め)事件の東京高裁判決(2006年5月)は、「合理的な理由がないのに再任用についての差別的取扱いを行った場合は、人格的な利益を侵害するものとして、違法である」として、精神的苦痛に対する慰謝料を認めた。
労働者が人格を尊重されながら職場で働くことができるように職場環境を保持することは、使用者の契約上の義務である。それゆえ、使用者は、労働者が上司、他の労働者、第三者から職場内で人権侵害行為を受けたときは、ただちに是正をすべき義務を負う。裁判例でも、各種のハラスメント事件において、さまざまな職場環境保持義務に関する判断がなされている。
控訴人と雇用契約を締結している当事者として、財団が職場環境保持義務を負うことは当然である。しかし、豊中市も、控訴人の任免に関して実質的な決定権を持っている。本件に関しても、ほとんどすべてが豊中市の部長・課長や出向職員によって決定されている。むしろ控訴人の実質的な使用者は豊中市である。
バックラッシュ勢力に目をつけられることの恐ろしさは、地方行政に携わる者にとって周知の事実である。バックラッシュ勢力のターゲットになった地方自治体の責任者や職員は、極度の緊張にされされ、職員の中には精神的うつ状態に陥る者すらいる。
本件事案が発生した当時は、バックラッシュ勢力が勢いを増した時期であり、彼らは男女共同参画推進条例をターゲットにしていた。そのため、行政は、条例の問題に対しては、バックラッシュ勢力とことを荒立てないように細心の注意を払ってきた。とくにバックラッシュに地方議会の議員が関与している場合には、ただでさえ議会対策に神経を使う自治体職員にとっては、バックラッシュ勢力とことを荒立てないことが重要であり、多くの自治体は水面下で調整をはかってもきた。
このようなバックラッシュ勢力への地方自治体の対応を事実として認識しないかぎり、本件事案の本質はみえてこない。
豊中市も財団も、控訴人の館長としての職務遂行については、高く評価していた。
しかし、バックラッシュ勢力の圧力が強まるなか、豊中市と財団の職員は、バックラッシュ勢力にけっして屈しようとしない控訴人をうとましく思うようになり、控訴人に対する態度を変化させるようになった。(この節では、(ア)(イ)を省略して、(ウ)だけを紹介します。)
(ア)「すてっぷ」と控訴人への嫌がらせ(略)
(イ)控訴人を誹謗する噂への対応(略)
(ウ)ファックス事件
[判決]
「[豊中市は]謝罪はせず……原告(控訴人)の責任については……何の処分も行われなかった」、「これらの経験からみて、被告豊中市が、『すてっぷ』の反対勢力に対し、屈服するような態度をとったとはいえない」
[浅倉さんの反論]
「謝罪しなかったのは、ファックスの『内容』について謝罪する理由が見いだせなかっただけで、むしろファックスという手段を利用したことを理由として、山本事務局長を厳重注意処分にしたこと自体、相手の要求を受け入れたといえるのではないだろうか。」
原告(控訴人)に処分が行われなかったのは「控訴人が始末書の提出を拒否したからである。市は、控訴人に対して始末書の提出を求めたのだから、けっして控訴人を『処分しない』という積極的な意図をもっていたわけではない。このことが、行政が『屈服していない』という結論を導く根拠には、到底なりえないであろう。」
ファックス事件への対応で重要なのは、控訴人を含む女性4名だけが、K議員と関係者3名からの抗議の矢面に立たされ、しかも閉庁日の午後7時から10時までの3時間、誰もいない庁舎の一室で、机を強打して怒鳴りつけるような「抗議」をされたことである。「いやしくも『机を強打して相手を怒鳴りつける』というような暴力的言動を、市職員が第三者からなされた場合、しかもそれが業務に関わってなされた場合には、当該職員の使用者としての責任から、市および財団は、相手に抗議して謝罪を要求すべきであろう。それが、職員の働く環境を整備する義務を負う使用者としての当然の責務だからである」。
バックラッシュ勢力でいる市議会議員や関係者から行われた各種の嫌がらせ、虚偽の噂の流布、暴力的な威圧的言動に対して、矢面に立ったのは控訴人であり、市および財団は、控訴人を支援するための適切な対応策をほとんどとることはなかった。このこと自体が、事業主が労働者に対して負うべき、「職場環境保持義務」の履行を怠っていることであり、責任を問われてしかるべきだった。
にもかかわらず、市と財団は、不当にも、控訴人の存在をうとましく思い、策を弄して、控訴人を排除するに至ったのである。
控訴人の排除にいたる一連の過程の中で、さまざまな人格権侵害がおこなわれた。
@非常勤館長職から常勤館長職への切り替えに関する情報を当初から控訴人に秘匿したこと。
A「控訴人は常勤館長職を望んでいない」という虚偽の未確認情報を、意図的に、第三者や館長候補者に流したこと。
Bその虚偽情報を流しながら、他の人々に館長就任要請をおこなって就任を応諾する人が出るまで、さらに控訴人に情報を秘匿したこと。
C常勤館長選考試験も、すでに決まっていた候補者を合格させるためだけの試験であり、このことによって控訴人を欺いたこと。
D最終的には、正当な理由もなしに、控訴人を財団から排除したこと。
これらの行為によって、控訴人は、自らの人間としての尊厳を傷つけられ、精神的苦痛をこうむり、人格的利益を侵害された。実際、控訴人は首を切れらるかもしれない恐怖感、信頼してきた部下から嘘をつかれてきたことによる屈辱感、そのために心労で眠れない日を過ごしたこと、情報から隔絶されて、自分のまったく知らないところで自分の身分にかかわることが決められている恐怖、それらによって著しい身体的苦痛を被り、身体中に湿疹ができ、あざのように残ったと、被害について語っている。
以上のことは、豊中市と財団がおこなった共同不法行為であるのみならず、職場環境保持義務に違反したものであり、両者は債務不履行責任を免れない。市と財団は、控訴人がこうむった精神的苦痛に対する損害を賠償する責任を負う。
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