控訴人第4準備書面要旨(館長雇止め・バックラッシュ裁判)

 館長雇止め・バックラッシュ裁判(原告・三井マリ子さん)の控訴人第4準備書面(2008年12月提出)の要旨を書いてみました。しかし、文責はすべて遠山日出也にあります。
 正確には「控訴人第4準備書面」の原文(PDFファイル)(104ページ)をご覧ください。
 わかりやすいように、被告側の主張を朱色で表示しています
 便宜上、西暦に統一して記述してあります。敬称は基本的に略しています。

第1章 雇止め・採用拒否の違法性
 第1 序
 第2 豊中市が原告を排除する動機…バックラッシュの攻撃と屈服
 第3 市長が決めた館長人事
 第4 組織変更に名をかりた控訴人排除
 第5 解雇にあたっての説明義務
 第6 本件雇止めの違法・無効
 第7 本件採用拒否の違法性
第2章 人格権侵害(略)
第3章 豊中市の責任(略)

第1章 雇止め・採用拒否の違法性

 本件訴訟の事実の流れから強く感じるのは、控訴人をなんとしてでもすてっぷの館長の地位から排除しようとする市の強固な意志である。組織変更は合理的な根拠もなく、雇止めの真の動機を隠すためのものとしか考えられない。新館長の選考手続きも、極めて不透明かつ不公正だったことは明らかである。
  │
 そこまでして市が原告を排除しようとした理由はいったい何だったのか。

第2 豊中市が原告を排除する動機…バックラッシュの攻撃と屈服

 豊中市は、「市はバックラッシュ勢力に屈することはなく、その攻撃に毅然と対応した」と主張する。しかし、市の対応は毅然としたものはと言い難く、密約の存在を否定できるものではなく、むしろバックラッシュ攻撃に萎縮し、屈した様がうかがえる。

1 市の態度の変化

 ・2003年6月3日:市は、それまで条例制定のために手を携えていた「男女共同参画社会をつくる連絡会」に対して、同連絡会が実施したアンケートについて、「寝た子を起こすようなことはやめてほしい」と、行動を控えるよう求めた。
 ・2003年6月18日:山本事務局長は、同連絡会のMLに、この日を最後に投稿しなくなった。
  ↓
 市は、条例制定を前にしたこの時期、バックラッシュ勢力を刺激したくないという思いが強まり、控訴人を排除したいと考えるに至った。

(1)2002年7月頃から始まったすてっぷの貸室を巡る示威的行動に対する市の対応

 豊中市は、「増木氏らによる2件の貸室申込みは、男女共同参画推進センター条例の趣旨に則ったものとして認めた」という。
 ↑
 ・しかし、豊中市は、上記の申込みをした2名の所属団体がバックラッシュ勢力で、北川議員と密接な関係を持っていることを認識しており、貸室の申込みが示威的行動であることは当然わかっていたはずだ。
 豊中市民(石原敏氏ら)の陳述書にも、増木氏が、教育委員会や学校現場に圧力をかける活動を続けていたことが書かれている。このような事情は、当然市の耳にも入っており、山本事務局長も、2002年末、「オンブズマンだ」という男性からすてっぷにかかった電話に関して「示威的行動と思われる。完全な右翼の活動」と述べていた。
 ・当初は山本事務局長も、貸室申入れの真の狙いは示威的行動であることを熟知しており、当初、利用を断った。それに対して、増木氏らは市に直接圧力をかけ、その結果、市は貸室利用を認めた。市の対応は、攻撃に屈したものである。

(2)2003年9月9日の市議会副議長の噂話への対応

(「『三井は「専業主婦はIQが低い」と言った』という噂を聞いた」と大町副議長が言ったことに対して、原告が、副議長に「誰が、いつ、何と言っていたのか」を確かめようとしたことを本郷人権文化部長が止めたことについて) 市は、「直接に抗議するよりももっと厳しい手段である、法務局への人権侵害申し立てを原告に提案したぐらいだから、バックラッシュ勢力に屈していない」と主張する。
 ↑
 ・しかし、地方自治体自身が人権を守るという責務を本来的に負っており、本郷部長は自らが人権文化部長であるのに、自ら解決の方策をとっていない。法務局という第三者機関に任せて事足りる話ではない。
 ・しかも、本郷部長の提案は、自らが人権侵害の申し立てをするというのではなく、原告が申し立てよとの提案にすぎない。
 ・この件は館長出前講座の際のことであり、職務に関わる事件なのに、第三者機関に振って、市が関与しないところでの解決に委ねるのは、責任逃れである。
 ・人権侵害を申し立てるにしても、相手を特定する必要がある。そのためには副議長に聞かなければいけない。
 結局、本郷部長が原告の副議長への面談を止めたのは、バックラッシュ系である副議長を刺激するような行動を取らせまいとした過度の配慮からである。

(3)2003年11月15日のファックス事件への対応

 市は「ファックスという手段を取ったことを謝罪しただけだ」、「結局は謝りに行っていないから、毅然とした対処だ」と主張する。
 ↑
 ・しかし、休日のひとけのない土曜の夜7〜10時に、市役所の会議室を北川議員の糾弾会に提供したこと自体、バックラッシュに屈したことを示している。
 ・市は、ファックスの内容についてはなんら判断せず、「内部問題だから問題ない」としただけであって、「内容については謝らない」という毅然とした態度ではない。
 ・その一方で、原告に「お詫び行脚」や始末書を書くことを求めた。
 ・市が謝罪に行かなっかったのは、相手方から「内容について謝らないなら、来るな」と断られたからにすぎず、「毅然とした態度」と評せないことは明らかだ。

(4)2002年12月のすてっぷ蔵書廃棄の攻撃への対応について

 市は「ジェンダーフリー関連の蔵書についても、バックラッシュ攻撃に屈することなく、廃棄しなかった」と主張する。
 ↑
 しかし、北川議員や関係者がすてっぷに来館する情報があった時には、職員が、関連図書を、書庫や事務室などに移動させていた。これは、市が盾となってバックラッシュ攻撃に毅然と対応してくれないがゆえに、職員がとらざるをえなかった方策である。

(5)2003年3月の条例案上程に対する攻撃への対応

 バックラッシュ勢力によって条例の上程が断念されたことは、山本事務局長が財団の2003度第1回理事会で明確に語っている。同時期に開かれた評議員会でも、評議員たちは、条例上程断念にはバックラッシュ勢力の反対運動があったことを念頭に話し合っている。
  │
 しかし、これらの議事録は、バックラッシュ攻撃を理事会・評議会で問題にしてきたことを隠蔽するように改竄された。実際、市と山本事務局長が「バックラッシュ対策」のために、議事録を書き換えることについて「調整中」だという記載がある。
 ↓
 市と山本事務局長の合意の下で、バックラッシュ攻撃を恐れて、改竄したのである。

(6)議会での賛成決議に関して

 豊中市は「密約などは根拠のない推測である。条例の制定は、2、3名の議員と密約して左右できるものではない」と主張する。
 ↑
 ・しかし、特定の2、3名の議員と話を付けることで議会全体が変わることは、ままある。当時、市長与党第2党であった「新政とよなか」が賛成しなければ、条例案通過は危ぶまれていた。具体的には、条例案審議をする委員会に属する会派を代表する委員(北川議員、大町議員)に賛成してもらうメドがたたなければ、9月議会に条例案は上程できなかった。
 ・北川議員は、9月議会で条例案の中身には絶対反対しつつ、突如賛成に回った。
 ・その日、議会を傍聴した豊中市民のC.Y氏は「条例案が可決され、委員会閉会のあとすぐに北川議員は、(議場のモニターをおこなっている)視聴室に顔を見せ、支持者たちと握手して談笑していた」と陳述している。これは、バックラッシュ勢力にとって、条例制定よりも利するものがなければありえない奇妙な光景である。

(7)結論

 以上のような豊中市の対応を見ると、市は、男女共同参画推進条例案の上程に際して、条例制定に反対するバックラッシュ勢力に過敏ともいえるほどに対応していたのであり、それに対する対応として本件雇止めの画策があったと見るほかない

第3 市長が決めた館長人事

 

この節は、「第3準備書面」と「求釈明の申立書」(私による紹介と要約)を受けて書かれています。

[この節の主な内容]

 「予算要求額の確定方法が通常とは異なる」という問題(1審・原告最終準備書面 第3の1―(2)「通常ではありえない補助金予算要求の具体化としての職員体制の変更」など参照)について、豊中市は、控訴人側の求釈明(*)に答えて、財団の組織体制の変更は「重要な政策的変更」である(からだ)と答えました。豊中市の書面によると、財団事務局の組織体制の変更は、「所轄部長段階で判断し、決定することはできない」ような「重要な政策的変更」だったから、市長に組織変更案の内諾を得たとのことです。

 (*)求釈明とは「相手方の主張の疑問点に対して釈明を求めること」というような意味。

 その組織体制の変更(乙8)は、非常勤館長職を廃止することによって「現館長[=三井]」を排除するというものでした。すなわち、市長に諮らなければならないほどの「重要な政策的変更」とは、三井さんを排除するという「政策的な変更」だったのです。

 また、本郷部長は「館長人事は市長の意向も働く」「どなたが館長か、市長が了承していない方を議会に上程するというのは、今後の議会運営からもいろいろ問題が出ます」と述べています。また、市長に見せて「それで当たれ」と言われた候補者リストには、控訴人[三井]は含まれていませんでした。

 以上から見て、まさに、控訴人排除は市長が決めたのです。

 豊中市は、一審では、控訴人排除を市長にまず諮ったとするのはまずいと思ったのか、「乙8は、まず財政課に示した」と言っていましたが、控訴審では、一審勝訴に油断したのか、開き直ったようです。

 また、2003年10月中旬には市長に「組織変更案の内諾を得」て、「予算確保の目処」がついていたにもかかわらず、10月31日の財団の事務局運営会議に諮られたのは、「現行、2003年の人員体制」での予算説明書でした。すなわち、「重要な政策的変更」である組織体制の変更が、控訴人や事務局職員には隠されておこなわれたのです。

 また、組織変更案(乙8)は、理事長にも示しませんでした。理事長は、10月30日、組織体制の変更については「館長を含む事務局がどう考えられるかということがまず第一義ですよ」と述べたにもかわらず、その翌日の事務局運営会議には、理事長の指示に反してまで、「館長を含む事務局」には諮られず、秘匿して、2003年の現行のままのものを諮ったのです。

 結局、「重要な政策的決定」というのは、まさに控訴人を排除するということであり、バックラッシュ勢力に屈服するということでした。豊中市議会では、男女共同参画審議会の人選についてまで「思想的な偏りが懸念されますので……公正・中立な人選を」という注文がつくほどです。豊中市は、バックラッシュ勢力から問題とされ、議会運営に支障が出ることを避けるために、控訴人を排除するという「重要な政策的変更」をおこなったのです。


 以下は、見出しに忠実に作成したメモです。

1 「重要な政策的変更」と回答

 ・市は、求釈明に答えて、本件は「重要な政策的変更」であると回答した。
 ・市は、「財団事務局組織体制の変更というような重要事項についての市の考え方を所轄部長段階で判断し、決定することはできない」とし、2003年10月中旬、市長に「組織変更案の内諾を得」「予算確保の目処」がついたとする。
 ↓
 ○すなわち、豊中市の準備書面で明らかになったのは、本件「財団事務局組織体制の変更」が、「所轄部長段階で判断し、決定することはできない」ほどの「重要な政策的変更」であるということである。

(1)市長に示して了解を得るための乙8
 乙8号証について、控訴審では、市長に示して「予算措置について内諾を得た」ものであったとしている。

(2)乙8から明らかなこと
 ・乙8から明らかなことは、「現館長」(控訴人)を非常勤館長職の廃止の形で財団から排除することである。
 ・乙8には、館長と事務局長を一本化して、事務局長をプロパー化することも書かれているが、これは、「所轄部長段階で判断し、決定することはできない」ほどの「重要な政策的変更」ではない。
 ↓
 ◎まず市長に諮らなければならないほど「重要な政策的変更」とは、控訴人を排除する「政策的な変更」だったのである。

(3)候補者リスト
 武井課長は、事務局長候補者のリストを作成して、市長に見せて、「それで当たれという了承の下に打診した」(本郷部長)

(4)「館長人事は市長の意向も働く」
 ・本郷部長は「館長人事は市長の意向も働くわけです。正直言いまして、市長が議長に提案するのに、どなたが館長か、市長が了承していない方を議会に上程するというのは、今後の議会運営からもいろいろ問題が出ます」と発言している。
 ・市長に見せて「それで当たれ」と言われた候補者リストには控訴人は含まれていなかった。
 ↓
 ◎控訴人を排除した「館長」こそが、「市長の意向」にもとづく「館長人事」であった。

(5)計画変更はできないというのが市のトップの判断
 本郷部長は理事会において、「計画変更はできないというのが市のトップの判断であった」とい述べているが、以上の経過から見て、それも当然である。

(6)市長が決めた控訴人排除(この節のまとめ)
 〇「所轄部長段階で判断し、決定することはできない」ほどの「重要な政策的変更」について
 〇市長に、控訴人排除を内容とする「組織変更案の内諾を得た」
 〇市長に、控訴人を除く「候補者の一覧表を示して了承を得」、「それで当たれという了承のもとに打診」している。
 ↓
 ●まさに、控訴人排除は市長が決めたのである。

3 こんなに違う原審と控訴審での市の主張、証言

 (1)一審では、本郷部長は、市長に対して「非常勤館長の雇止めとか廃止とかいう説明はしていない」と証言した。しかし、控訴審では、「非常勤館長職の廃止」が書かれた乙8について説明し、候補者リストを見せて了解を得たとしている。本郷証言は虚偽である。嘘の証言をしたのは、「非常勤館長職の廃止」の形での控訴人排除をまず市長に諮ったとするのはまずいと判断したからであろう。

 (2)一審では、乙8は、2003年11月中旬に財政課に示して「考え方」「方向性」を説明するために作成したと主張していた。しかし、控訴審では、同年10月中旬に「市長に財団の体制変更について説明し、予算措置について内諾を得た」に変わり、財政課については「その後の手続き」であると主張が変わった。

 (3)原審では、乙8によって「考え方」「方向性」が財政課の理解が得られなければ「その後の予算額の折衝に進めない」としていた。ところが、控訴審では、市長が決めた「館長人事」だったことが明らかである。

4 財団事務局の組織変更なのに控訴人を含む財団事務局には秘匿して

(1)原審での主張

 市は、「財団のスタッフが協議検討し、積み上げてきた計画を財団事務局が予算として男女共同参画課に要求し……こうしたプロセスは原告も館長として参画しているので知らないはずはない」と主張していた。

(2)実際には

 2003年10月31日の事務局運営会議に諮られたのは、「とりあえず、現行、2003年の人員体制での」予算説明書である。
 しかし、控訴審での主張によれば、2003年10月中旬には、市長に「組織変更案の内諾を得」「予算確保の目処」がついていた。
 しかるに、10月31日の事務局運営会議では、財団事務局の組織体制の変更については、当事者である控訴人にも財団事務局職員にもまったく知らせず、「協議検討」もさせなかった。
 「重要な政策的変更」である財団事務局の組織体制の変更であれば当然、少なくとも乙8に基づいて事務局運営会議に諮られるべきであった。ところが、それを秘匿した。これは、「重要な政策的変更」が、控訴人排除であったことを示すものであり、山本事務局長が、控訴人には隠しておいたのである。

5 乙8は理事長にも示さず

 理事長は、10月30日に館長と事務局長の一本化について「大きな体制」について聞いたとしており、「館長を置かない」案である乙8を示して、事務局長一本化の説明をしたとは到底思えない。
 ↓
 すなわち、乙8を理事長にも示さず、もっぱら、市において、市長が決めた「館長人事」だった。

 理事長は、組織体制の変更については、「館長を含む事務局がどう考えられるかということがまず第一義ですよ」と言ったと繰り返している。
 ↓
 ところが、その翌日の10月31日には、理事長の指示に反してまで、組織体制の変更を「館長を含む事務局」には諮らず、これを秘匿して、2003年の現行のままのものを諮った。

6 「重要な政策的変更」の中身

 以上のとおり、「所管部長段階で判断し、決定することはできない」ほどの「重要な政策的変更」とは、館長である控訴人を排除することにあった。

 「第2」で述べたように、バックラッシュ勢力からの示威行為を受け続ける中で、これに屈服する姿勢に変わっていった市は、バックラッシュ勢力のターゲットとされていた控訴人を排除することにしたのであり、「重要な政策的変更」とは、バックラッシュ勢力に屈服するということであった。

 男女共同参画審議会の人選についてまで、「思想的な偏りが懸念されますので……公正・中立な人選を」と指摘され、「市長が議会に予算案を提案する」のに、「どなかが館長か」が議会で問題になる(本郷証言より)という状況下においては、市は、バックラッシュ勢力から問題とされ、議会運営に支障がでることは避けるということ、すなわち、控訴人を排除するという「重要な政策的変更」をおこなったのである。

第4 組織変更に名をかりた控訴人排除

[この節の主な内容]

 控訴人を排除するために、被控訴人らは、将来の課題とされていた「組織変更」の実施時期を急遽早め、排除の手段として使った。この組織変更に関して控訴審の審理で判明したのは、以下の5つの事実である。

【1】組織変更を2004年度に実施する緊急性はなかったこと

 豊中市は、中長期的展望でおこなう予定であった組織変更を、2004年4月から急遽実施した理由として、「山本事務局長の市からの派遣期間が切れるのに、市からその後任を派遣することが困難だった」という事情を主張している。
  ↑
 しかし、控訴人側の要求によって、豊中市が今回新たに提出した文書(乙34)によると、非常勤館長職を廃止して「現館長」を排除する文書(乙8、10月15日付)を作成する直前に山本事務局長らがおこなった2003年9〜10月初めの協議においても、2004年度の事務局長には市からの派遣を予定していた。その協議では、2004年から2006年度までは、市から派遣した事務局長を充てて、2007年度に初めてプロパー化すると考えていた。豊中市らが主張している事情は、口実にすぎない。
 (上の点については、「第2準備書面」[私も「第2準備書面をを読んで」という文を書きました]を参照してください。)

【2】中長期的展望でおこなうはずの組織変更に、指定管理者制度を無視して、控訴人排除を優先させたこと

(この節は、豊中市のさまざまな主張に反論していますが、たとえば──)
 豊中市は「『豊中市指定管理者制度導入方針』が確定したのは、2005年5月になってからだ」などと主張している。
 ↑
 しかし、法施行から3年の経過措置があったために、豊中市は、2005年5月まで、すてっぷを、@市の直営にするのか、A財団を指定管理者として指定するよう条例で決めるか、B指定管理者を公募するかを決めていなかったにすぎない。上記@〜Bのいずれになるかは別にして、指定管理者制度の導入自体が検討に入らないことはありえない。
 また、すてっぷは、2011年に指定管理者を公募することになった。公募となれば、財団がすてっぷの運営に係わるかどうかは不明で、財団の存立そのものにかかわってくる。指定管理者制度の導入が「予測できなかった」ことなどありえない。

【3】第2次試案作成段階から、山本事務局長は、豊中市と協議して、2004年度実施のため同案を作成していたこと

 従来の財団らの主張では、山本第2次試案は、「2004年度実施の方向」で策定されたのではなく、あくまでも山本の個人的な試案であるとしてきた。
   ↑
 しかし、市は、第2次試案作成後の状況を主張する中で、「……人権文化部と山本事務局長の詰めの協議が中断されていたが……」と述べている。もし第2次試案が山本の個人的な私案にすぎないならば、「詰めの協議が中断された」と言うはずはない。このことは、はしなくも、第2次試案は、実は、市との“密室”での「詰めの協議」がなされて作成された事実を吐露している。

【4】組織変更は、専ら控訴人排除のためであり、これだけは既定方針であったこと
   │
 被控訴人らは、組織変更案を転々とさせてはいても、山本第2次試案作成以降は、「控訴人の排除」の方針だけは、一貫し、確定していた。

【5】組織変更は、「体制強化のため」は、被控訴人らの口実にすぎず、現に体制強化には役立たなかったこと
   │
 すてっぷでの市民説明会では、すてっぷの事務局次長も、2006年から2007年度にかけて、すてっぷの主催事業が250件減り、目的使用も30件減ったというデータを公開せざるを得なかった。すてっぷを利用する参加者は、2002年をピークに、2004年度に持ち直すものの、2005年度には激減している。「地域密着」を強調してきたが、市民企画委員会や市民企画講座は衰退している。


 以下は、見出しに忠実に作成したメモです。

1 組織変更に関して、控訴審で明らかになった事実は何か?

 控訴人を排除するために、被控訴人らは、将来の課題とされていた「組織変更」の実施時期を急遽早め、排除の手段として使った。組織変更に関して控訴審の審理で判明したのは、以下の2〜6の事実である。

2 組織変更を2004年度に実施する緊急性はなかったこと

(1)2004年度は市派遣の事務局長を予定していた

 中長期的展望でおこなう予定であった組織変更を2004年4月から急遽実施する緊急性が生じた事情として、被控訴人らは、「山本事務局長の市派遣期間が切れるのに、後任を市派遣で補充する困難である」という理由を主張してきた。一審判決も、2004年4月期に山本事務局長の後任を豊中市から派遣することが困難であることが「喫緊の課題として浮上してきた」と、被控訴人らの主張を認めた。
 ↑
 しかし、新たに控訴審で提出させた乙34号証によると、以下の事実が判明した(註:被告側は、一審では、乙34号証の一部である乙8号証[2003年10月15日付、非常勤館長職廃止によって「現館長[=三井]」を辞めさせることを決めたことを述べたページ]しか提出していなかったので、控訴審で、原告側が全部を出すように要求したところ、文書全体である乙34を出してきた)。
 ↓
 ・市は、乙8作成の直前である2003年9、10月初めの協議でも、2004年度の事務局長には、市派遣を予定していた。
 ・2004年から2006年度までは、市派遣の事務局長を充て、2007年度に初めてプロパー化すると被控訴人らは考えていた。  ↓
 ○被控訴人らが主張していた事情は、口実にすぎなかった。

(2)被控訴人らの主張

 ア 予定していた手順
 当時、財団にとっては、「中・長期的展望」(=5年、10年)のもとでの組織運営などの策定こそが重要課題であった。山本事務局長の2003年5月13日の評議員会での発言も、理事・評議員の意見交換会をしながら、長期計画で組織・職員体制のあり方に検討していくとするものだった。

 イ 市第2準備書面
 豊中市は準備書面で、山本事務局長は「自らの交替要員について非常な危機感を持つようになって……2003年4月の人権文化部長の課題ヒアリングにおいて、財団の体制整備を2004年に間に合わせるように要望し、理解が得られた」と主張している。
 ↑
 しかし、その際の文書はそうした内容のものではない。年次計画を立てて、「最終的な職員体制を構想するに当たって」「館長をどうするか」というものであって、山本事務局長が言うような「財団の体制整備を2004年に間に合わせる」ものではない。

(3)乙34号証から分かったこと

 乙34の1、2頁は、乙8を作成するまでに、武井課長や山本事務局長の打ち合わせで現れた考え方や課題を述べている。それは、以下の事実を明らかにした。
 ・乙8を作成する以前から、被控訴人らの間で、控訴人を解雇するために、非常勤館長職を廃止して事務局長職一本化することをいち早く決めたこと。
 ・事務局長職には市派遣を予定し、2007年度からプロパー化するとしていたこと。

(4)乙34は男女共同参画推進課の文書

 乙34の作成者は「男女共同参画推進課」と記載されており、単なる個人の文書ではない。

(5)乙34号証の内容…事務局長一本化と市派遣事務局長

 乙34の1、2頁によると、乙8が決定する直前まで、2004年度は以下のようにすると考えていた。
 ア 非常勤館長職廃止。
 イ 事務局長一本化とし、その事務局長は山本事務局長または他の市派遣でおこなう。
 ウ 2007年度に、事務局長をプロパー化する。

 ところが、被控訴人らは10月15日付けの乙8で、急遽、事務局長は市派遣ではなく、プロパーを当てる案に変更した。その理由は、組織強化の理由付けがより強調でき、三井館長排除だけを目的として事実がカムフラージュできると判断したためである。

 事務局長のプロパー化を2007年度からにしていたのは、「豊中市との協力・連携をより深める必要があるため」だとしていた。これは、指定管理者制度に向けての準備をする必要からと推察されるが、それを度外視しても2004年に緊急実施したのである。

 乙34では、派遣期間切れになるという山本事務局長自身が、2004年は市派遣を当てるという前提が協議を重ねたことが明らかになった。被控訴人らの主張は、口実に過ぎないことが明確になった。

3 中長期的展望でおこなうはずの組織変更に、指定管理者制度を無視して、控訴人排除を優先させたこと

(1)原判決の指定管理者制度の導入について理解していないがために生じた誤りについては、既に控訴理由書で述べたとおりである。

 本件は、組織変更を理由に控訴人を2004年3月に財団から排除した事案であり、指定管理者制度導入を控えたこの時期に組織変更をすることは通常ではあり得ないと控訴人は主張しているのである。しかし、原判決はそのことを理解していない。

(2)(3)…略

(4)指定管理者制度の導入と中長期的組織・職員体制のあり方

 2003年6月公布(10月公布)の地方自治法第224条の2によって指定管理者制度が導入された。中長期的展望を持った組織・職員体制のあり方を検討するのに、指定管理者制度の導入が検討に入らないことは地方自治体や財団のような組織においてはありえない。

(5)組織変更と2004年4月

 ・2003年5月13日…これから「中長期的展望のもとで」の組織・職員体制のあり方に検討していく、としていた。
 ・2004年9月…豊中市、「財団のあり方検討」の方向性を出した。
 ・2007年3月…「財団の中期的な展望にたった方向性」を提示する「財団法人とよなか男女共同参画推進財団のあり方検討結果について」を出した。
 ↓
 この事実経過からは、2004年4月に財団の組織変更を急遽しなければならないことはないことがわかる。

(6)〜(8)

 豊中市は「指定管理者制度について全庁的調査・検討を開始したのは、2004年11月であり、『豊中市指定管理者制度導入方針』が確定したのは、2005年5月である」と言う。
 ↑
 ・しかし、指定管理者制度の導入に合わせて、財団の統合が2004年8月には市民に提起されている。これは、2004年11月や2005年5月より前である。
 ・法施行から3年の経過措置の期間内に、すてっぷを、@市の直営にするのか、A財団を指定管理者として指定する条例を作るのか、B指定管理者を公募するのかを決めなければならなかった。豊中市は、2005年5月まで、この@〜Bのどの方法によるのかを決めていなかったとしているにすぎない。3年の経過措置の間、上記@〜Bのいずれになるかは別にして、すでに法改正がなされている指定管理者制度の導入が検討に入らないことはありえない。
 ・すてっぷは、3年の経過措置の後は「5年後公募」(=改正法施行8年後の2011年に公募)となった。公募となれば、財団がすてっぷの運営に係わるかどうかは不明である。その意味で、指定管理者制度は、財団の存立そのものにかかわってくる。したがって、被控訴人らが、指定管理者制度の導入が「予測できなかった」ことなどありえない。

(9)

 原判決は、被控訴人らの主張する中長期的展望のもとでの組織体制の変更について全く判断せず、「組織変更を急いだ」ことにすべてを帰せしめている。しかし、指定管理者制度の導入を無視して「組織変更を急いだ」ことは極めて不自然であり、控訴人排除の目的が優先したため以外にはありえない。

4 第2次試案作成段階から、山本事務局長は、豊中市と協議して、2004年度実施のため同案を作成していたこと

(1)どの時期に、2004年度実施を決定したか?

 市は、控訴審になって、中長期的展望のはずの組織変更について「ヒアリング段階から2004年度実施を予定し、山本事務局長は、その前提で第2次試案を作成した」と主張しだした
 ↑
 しかし、ヒアリングでは、組織変更が財団にとって最重要課題の一つとなって提起されて了承は得られたが、けっして「2004年度実施の方向」とはなっていない。「問題解決に向けて動き出す」ことについて豊中市に理解してもらったにすぎないのである。これを受けて、2003年5月13日の評議員会で、山本事務局長は「秋頃を目処に発足3年を期に理事・評議員の意見交換会の開催を検討しています」と発言しているのである。

(2)山本第2次試案は、2004年度実施を決めて作成されていた

 従来の財団らの主張では、山本第2次試案は、「2004年度実施の方向」で策定されたのではなく、あくまでも山本の個人的な試案であるとしてきた。
 ↑
 山本第2次試案は、「館長常勤化と事務局長職廃止・館長の下に次長職を置いて市派遣を充てる」ことは明確である。かかる方向性は、財団の事務局長ひとりが決定できることではなく、市の関与があって初めて可能である。
 したがって、2003年5月13日の評議員会での山本発言後、第2次試案の作成日までに、市が関与して第2次試案を作成して、2004年度実施が決定されたと推察できる。

(3)山本第2次試案は、市との協議により作成されていた

 また、市は、第2次試案作成後の状況を主張する中で、「……人権文化部と山本事務局長の詰めの協議が中断されていたが……」と述べている。
 ↓
 もし第2次試案が山本の個人的な私案にすぎないならば、「詰めの協議が中断された」となるはずはない。上記市の主張は、はしなくも、第2次試案については、実は、市との“密室”での「詰めの協議」がなされて作成された事実を吐露している。

 これは、第2次試案によって控訴人を排除することは決まっていたが、具体的な職員配置案は中断しており、8月30日のB─4案まで進行しなかったということを示している。

 豊中市の主張には、山本第2次試案について、「関係者と協議して修正していった」という言葉があるが、「関係者」とは、本郷部長、武井課長のほか、T人権文化部市民活動課長であると考えられる。

 豊中市は、2004年2月2日に山本が口頭で修正予算要求書を報告した先が「市民活動課総務係」であると回答してきたが、その課長はT氏である。予算変更を市に口頭で行うことは考えにくいが、山本と何回も協議を重ねてきて事情に通じているT課長の下におこなったのであれず、口頭による予算修正という通常でないやり方も理解できる。

(4)B─4案の特異性について

 豊中市は「B─4案を特別視する必要はない」と言っている。
 ↑
 ・しかし、B─4案は、2004年4月から実際におこなわれた職員配置と酷似している。
 ・第2次試案は、「整備の方向」として「館長常勤化と事務局長職廃止・館長の下に次長職を置いて市派遣を充てる」方向を示した。それに合致するのはB─1案であり、それならば、B─1以外の案を添付する必要性は全くない。したがって、被控訴人らの間では、8月30日までの段階ではB─1案を実施案として考えていたが、8月30日提出時の段階でB─4案にすることに決め、B─4案を追加添付したと考えられる。
 ・しかし、館長職を廃止して事務局長だけにすることを原告に告げて館長就任の道を絶つ方が有利であるとの判断から、「事務局長一本化」(乙8)に変更した。けれども、事務局長候補者リストを見ると、そこに挙げられている人は、事務的管理的仕事に従事していた人ではなく、控訴人と類似の立場にいる学識経験者や専門家である。実際に市が決めていたのは、館長常勤化(B─4)であろう。
 ・山本事務局長が、原告に何回も提出を要求されても、B─4案をあくまでも隠したのは、それが実施予定の職員配置だったからであるということで説明がつく。

5 組織変更は、専ら控訴人排除のためであり、これだけは既定方針であったこと

 豊中市は「第2次試案や乙34の段階でも、まだ案は固まっていなかった」と述べている。
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 しかし、被控訴人らは、組織変更案を転々とさせてはいても(→下の(1)〜(5))、山本第2次試案作成以降は、「控訴人の排除」の方針だけは一貫し、確定していた。
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 (1)山本第2次試案のB─1案(館長常勤化で非常勤館長廃止、事務局長職も廃止、館長の下に次長職を置いて市派遣を充てる)
 (2)B─4案(館長常勤化で非常勤館長廃止)
 (3)乙34(市派遣による事務局長一本化)
 (4)乙8(プロパー化による事務局長一本化)
 (5)館長常勤化[=B─4案]

6 組織変更は、「体制強化のため」は、被控訴人らの口実にすぎず、現に体制強化には役立たなかったこと(すてっぷの惨状と桂証言)

 桂館長の「男女共同参画の仕事ができなかったが、その原因が組織変更にあった」旨の証言について、市は、仕事ができなかったのは、桂自身の「自己規制」「誤解」によるものだと主張している。
 ↑
 しかし、これは明らかに桂証人の証言に反した主張であり、そのように主張するならば、その根拠を示すべきである。

 すてっぷでの市民説明会において、すてっぷの事務局次長も、2006年から2007年度にかけて、すてっぷの主催事業が250件減り、目的使用も30件減ったというデータを公開せざるを得なかった。また、すてっぷを利用する参加者は、2002年をピークに、2004年度に持ち直すものの、2005年度には激減している。「地域密着」を強調してきたが、市民企画委員会や市民企画講座は衰退している。
  ↓
 組織変更後のすてっぷの活動は停滞してしまった事実は誰の目にも明らかになっている。「体制強化のため」と称しておこなわれた組織変更は、控訴人排除の口実にすぎず、組織変更の必要性はなかったことを事実が証明する結果となった。

第5 解雇にあたっての説明義務

[この節の主な内容]

 この節は、すでに脇田滋意見書(PDFファイル私による要約私の感想)で展開されている議論が多いです。

 ただ、今回の準備書面では、従来の判例で、整理解雇(使用者側の都合による解雇)の場合に必要だとされてきたことのうち、「労働者への説明」という点について特に詳しく展開してあります。

 その「労働者への説明」という点に関してですが、豊中市や財団は、三井さんに対して、組織変更や雇止めについて「説明義務」を果たさなかったばかりか、「意図的に情報を秘匿」(一審判決の言葉。後任館長の就任依頼について)しました。それだけでなく、市長が三井排除をとっくに決めていた11月8日になっても、「第一義的には三井さんにお願いするということです」(山本事務局長)と、虚偽の事実を告げました。

  ですから、本件は、労働者への説明義務を果たしていない(のみらず、嘘までついた)ので、違法・無効であると主張している──ということです。


 以下は見出しに忠実に作成したメモです。は、脇田意見書と重複していますが、一応、報告の意味で書いてみました(自己流に補足した箇所もありますので、あまりあてにしないでください)。

1 契約期間の定めと更新の合意

(1)原判決の問題点

 原判決は、雇用契約の期間が定められた契約(有期契約)について、契約更新について当事者の間に合意が存在しない限り、期間満了によって雇用関係は当然終了するとしている。
 ↑
 この判断は、労働契約法第16条(旧労働基準法第18条の2)の意義について何ら検討をしておらず、また、従来の最高裁判決をはじめとする多くの判例によって形成されてきた解雇権濫用(を防止する)法理や有期契約終了(を勝手にしてはならない)法理に反している。
 [→このことを、以下の(2)〜(4)で説明しています。]

(2)期間を定めた労働契約の終了法理

 裁判所は、有期契約については、それが解雇権濫用にならないように、解雇権濫用法理と同様の、有期契約終了法理を展開してきた。とくに、最高裁・東芝柳町工場事件判決は、採用、雇止めの実態、会社側の言動などを重視し、解雇相当の理由がないのに期間満了で雇止めをするたことは許されないとした。下級審も、更新回数や雇止めの実態などを踏まえた判断をしてきた。

(3)EU諸国の有期契約規制法理と新たな解釈論

 ドイツでは、1960年の連邦労働裁判所判決以降、今日に至るまでの多くの判例によって労働契約に期間の定めを設定することには正当な理由が必要であるとしてきた。

 こうしたドイツ判例法理を踏まえて、日本でも解雇制限を定めた労働基準法第18条の2(「解雇は、客観的に合理的な理由を欠き、社会通念上相当であると認められない場合は、その権利を濫用したものとして、無効とする」)の制定に注目し、労働契約に期間設定することを限定する有力な学説が登場した。

(4)期間の定めが許容される場合

 2003年改正労働基準法が新設した第18条の2自体、解雇について新たな規制内容を導入したものではなく、すでに判例として確立した、解雇権濫用を制限する法理を立法的に確認したものである。
 ↓
 2003年法改正を待つまでもなく、有期契約については、使用者側に脱法的な意図がないと言えないかぎり、契約期間設定自体が無効であると解する必要がある。

 では、労働契約に期間を定めることについて、「客観的に合理的な理由」(現行労働契約法第16条)がある場合とは、どのような場合であろうか?
 ↓
(ILO158号条約や166号勧告。ドイツの判例法理その他、EU諸国の短期契約規制法の紹介。)
 ↓
 こうした各国に共通した考え方に基づいて、現行労働契約法第16条の目的に適合する解釈としては、労働契約に期間を定めるには、@一時的・臨時的な業務の場合、A恒常的業務であるが、それが臨時的・季節的に増大する場合、B試用期間、C特別な雇用創出目的政策の場合のみ、合理的理由があると推測される。そして、この合理性の立証責任は、期間設定によって大きな利益を得ると考えられる使用者側に負担させるべきである。
 ↓
 本件は、@〜Cのいずれにも該当しない。したがって、本件のような、恒常的な業務であるのに労働契約に期間を設定する場合は、合理的な理由があることを立証できないときには、期間を定めない労働契約を結んだと解釈される。

 ↓

 原判決は、契約期間設定に対して解雇を制限する確立した判例法理やそれを確認した強行規定(=労働契約法第16条[旧労働基準法第18条の2])の存在について全く考慮をせず、逆に、契約更新の合意の存在の立証を労働者側に課している点で、根本的に判例法理や法令の解釈を誤っている。

2 雇止めの無効

 本件契約は、本来、期間設定そのものが、前述のとおり解雇制限の強行規定に反する疑いが強いと考えられる。

 少なくとも、市の都合・主導による「組織変更」が雇用契約終了の主因となっている。
 ↓
 労働法的には、使用者都合による解雇については、多様で巧妙な責任回避策(→「組織変更」など)が採られるという視点を持つことが重要である。形式的な判断ではなく、実質的な検討が必要であり、解雇責任回避でないことについて立証責任を使用者側に転換することを含めた判断が必要であり、原判決には、この点がまったく欠落している。

 使用者側の都合による解雇は、「整理解雇」として、とくに解雇権濫用という視点から、厳しい要件を課す判例法理が形成されてきた。
 ↓
 本件も、使用者側の都合で労働者の雇用継続を失わせるという点では、整理解雇と同じであり、従来の判例どおり、
 @人員整理の必要性(→常勤館長化の業務上の必要性)
 A解雇回避努力
 B労働者への説明
がされたのかを判断すべきである。

3 本件雇止めについて

 (@[とA?]について)2004年度に「組織変更」する必要はなく、「組織変更」はもっぱら控訴人排除の目的でおこなわれたものであって、違法・無効であることは既に述べたとおりである。

 Bの「労働者に対する説明」について言うと、本件では、同様の組織変更であれば通常なら当然行うべき従来の責任者(控訴人)への聞き取りや相談が行われず、逆に控訴人に秘匿するかたちで進められており、これは「組織変更の常識に反する異常な経過であった」(脇田意見書)。この点については、【4】で述べる。
 ↓
 そこから今回の組織変更自体に、控訴人の雇用上の地位継続を妨げる不法な意図が推定される。事実関係を踏まえて、こうした意図の存在の有無を検討することこそ裁判所に求められていた。ところが、原判決は、本件の核心とも言える、この点について使用者側に立証責任を課すこともなく、実質的判断を避けて形式的判断を済ませている。

4 控訴人に対する説明はなされず、逆に秘匿した違法

(1)原判決も認める控訴人への情報の秘匿

 控訴人に対して説明するどころか、被控訴人らは情報を秘匿し、わざわざ嘘をついていた。

(2)秘匿するだけでなく、「第一義的には三井さんです」と嘘までついて

 2003年10月中旬には、「財団事務局の組織変更」について市長の了解を得て、予算確保の目処もついて、10月20日に候補者リスト(←三井さんの名前はない)を市長に示して、「それで当たれ」との了承も得ていた。さらに、理事長は、10月30日、「館長を含む事務局がどう考えられるかということがまず第一義ですよ」と財団事務局で協議・検討するように言った。
 ↓
 ×しかし、山本事務局長は、10月31日の財団事務局運営会議では、その「組織変更」を諮ることはせず、逆に現行の体制のままのものを諮った。
 ×11月8日、本郷部長は、三井さんに「館長と事務局長を一本化するという案」について告げたが、三井さんを雇止めするとは言わなかった。
 ×くわえて、山本事務局長は、「第一義的には三井さんにお願いするということです」と虚偽の事実を述べた。
   │
原判決は、山本事務局長は「上司である原告に対して、雇止めになることを告げることはできず、とっさに……答えた」と言う。
 ↑
 ・しかし、雇止めを告げずに、虚偽の事実を述べたことは、明らかに説明義務に違反している。
 ・山本事務局長は、候補者リストや「それで当たれ」という市長の指示も知っていたのだから、「とっさ」にわざわざ、嘘をつくことはない。
 ・しかも、山本事務局長は、本郷部長や武井課長から「控訴人は雇止めになることを了解した」と聞いたとされる(山本証言など)のだから、その直後に「第一義的には三井さん」と言う必要はない。控訴人を騙そうと意図していなければ、そのように言うことはない。

(3)山本は「裏切った」「うそをついた」と認めている

 2004年1月10日に、控訴人に問い詰められて、そのように認めている。

(4)

 このように、被控訴人らは控訴人に対し、説明義務を果たさないばかりか、わざわざ、「第一義的には三井さん」と虚偽の事実を告げたのであって、本件は雇止めの理由がないばかりか、控訴人への説明義務を果たしておらず違法であり無効である。

第6 本件雇止めの違法・無効

 (この「第6」は、第1〜第5までのまとめです。)

 本件雇止めには正当事由が必要であるが、正当事由はなく、違法・無効である。

 財団は中長期的展望の下での組織体制の変更について、年次計画を立てて、検討していくとしており、2003年5月には「市と協議をはじめたばかりであり」であり、2003年秋には財団の理事・評議員と意見交換会をしながら進めていくとしていた。

 ところが、被控訴人らは、2004年度末に非常勤館長職廃止による控訴人排除の方針を立て、控訴人を雇止めした。

 被控訴人らは、財団の組織体制の変更をあげるが、中・長期的展望の下での組織体制の変更については、2004年度実施の必要性はなく、非常勤館長職廃止による控訴人排除のためにとられたものにすぎない。

 被控訴人らは、2004年度に非常勤館長職廃止と常勤館長プロパー化が必要不可欠としてきたが、乙34の1、2頁によって、2003年9、10月にも、常勤館長(事務局長)プロパー化は2007年度とされていたことも明らかとなった。

 市は、本件「財団事務局の組織体制の変更」が「所轄部長段階で判断し、決定することはできない」ほどの「重要な政策的変更」であるとし、まず、乙8を示して、2003年10月中旬、市長に控訴人排除を内容とする「組織変更案の内諾を得」「予算確保の目処」がつき、2003年10月20日、控訴人を除く「候補者の一覧表を市長にも示して了承を得」、「それで当たれという了承のもとに打診」したもので、まさに、控訴人排除は市長が決めたのである。

 バックラッシュ勢力からの示威行為、恫喝を受け続ける中で、これに屈服する姿勢に変わっていった市は、バックラッシュ勢力のターゲットとされていた控訴人を排除することにしたのである。

 市は、「バックラッシュ勢力から問題とされ、議会運営に支障が出ることは避ける」すなわち、控訴人を排除するという「重要な政策的変更」を行ったのであって、本件雇止めは、不法な意図の下に行なわれた違法な雇止めである。

 さらに、控訴人に対しては、雇止めすることを隠し、情報を秘匿し、わざわざ、「第一義的には三井さんです」と嘘までついたのであって、説明義務違反であるばかりか、虚偽の事実を告げた違法がある。

第7 本件採用拒否の違法性

1 本件雇用期間の趣旨について

 財団は、一審判決が、「すてっぷ」の館長職を公募の非常勤の有期契約にした理由について、「『すてっぷ』の業務を立ち上げる時期にふさわしい人材を求めることができること、また非常勤の場合、業務を推進する過程のなかで相当でないと認められる場合や職員体制の改正の必要が生じた場合など、これに対応して雇用関係が解消できる」ことにあると判示していると述べている。
 ↑
 ・上の原判決判示の部分は、館長を公募にした理由と非常勤にした理由を述べてはいるが、有期契約にした理由を述べているものではない。
 ・かりに立ち上げ期にふさわしい人材というものを想定したとしても、そのような人材が立ち上げ期以降は自動的に館長職にふさわしくなくなるというものではない。存在感や知名度という、立ち上げ期にふさわしい人材の特質として指摘されているものは、立ち上げ期が過ぎたとしても、館長の人材として望ましいものである。
 ・「非常勤」という雇用形態から、自動的に有期契約が導き出されるのではない。

 財団は、館長は本来常勤が望ましいので、非常勤の館長は立ち上げ期の一時的なものと位置づけ、様々な事態に柔軟に対応できる有期契約にしたと主張している。
 ↑
 しかし、常勤が望ましいからといって、直ちに非常勤の館長が立ち上げ期の一時的なものに位置づけられるわけではない。現に、山本第一次試案の4案中2案は、非常勤館長のまま2007年度まで計画されており、山本第二次試案でも、A案は非常勤館長のまま2011年まで計画されている。これらの案では、財団設立後10余年に至るまで、非常勤館長職である。

 結局、館長職を有期契約にしたことを合理的に説明しようとすれば、この期間を試用期間と同様のものと理解するしかない。乙3号証から見ると、財団も、採用した人材が合わない時、また採用した人材が連携や人間関係形成が困難だと判断したとき、有期雇用にしておいたほうが、雇用関係の解消がしやすいと考えていたと考えられる。
 ↓
 ということは、有期雇用にしたのは、採用した館長の適性を一定の期間をかけて評価するためであると考えられる。そうならば、神戸広陵高校事件の最高裁判決にあるように、「当該期間は試用期間であり、本採用を拒否することは、客観的に合理的な理由があり社会通念上相当として是認される場合にしか許されない」。

2 非常勤館長と常勤館長の業務内容について

(1)被控訴人らは、「非常勤館長」と「事務局長兼務の常勤館長」の職務内容は、同種の業務とは言えないと主張している。
 ↑
 ・しかし、事務局長候補者リストを見ると、そこに挙げられている人は、事務的管理的業務に従事していた人ではなく、控訴人と類似の立場にいる学識経験者や専門家である。
 ・桂が採用されるに当たって、桂は「事務局長という職は、ベテランの市の職員がやってきた仕事なのに、私ができるのか」という疑問を持ったが、それに対して、本郷部長は「事務局長職は全体を見る仕事だから、具体的な細かい業務は課長がする。だから心配いらない」と答えている。すなわち、常勤館長が兼務する事務局長の職務として想定されているのは、総務課長が行うような細かい事務ではなく、全体を見て統率していく職務である。このことは、乙3号証(館長公募の際の文書)が、館長の職務・資質として「マネージメント力」を挙げてあることと符合する。
 ・そして、この「マネージメント力」は、館長に期待される資質であるが、乙3号証においては、「非常勤である場合には、その短時間勤務であるという特殊性から、それが十分に発揮できない」としている。このことは、従来の非常勤館長職の職務内容と、常勤館長職との間に質的な差異があるわけではなく、単に勤務時間の違いを反映した職務内容の差異が存在するにすぎないことを示している。
 ・財団は、「控訴人が非常勤館長として行っていた職務は、事業の企画・立案・実施の統括、講座の講師に限定され」ていたと言うが、控訴人は、これらの業務のほか、職員の指導育成、新規採用職員の選考、助成金事業に応募した団体の選考、事務局長作成の各種の文案の校正、各種原稿の最終チェック、豊中市職員の研修、市民との共同作業などもやってきていた。

(2)財団や市は、桂が担当した業務について、控訴人が携わっていた業務とは量・質ともに異なるとしている。しかし、それらは、山本事務局長が携わっていた業務をあげたものにすぎない。

(3)以上の点から、控訴人の担当していた非常勤館長の業務と組織変更後の常勤館長の職務とは、同種の業務であることは明らかであり、旧パート法8条にもとづく指針の定め(短時間労働者に対して通常労働者応募の機会を優先的に与える)は本件にも当てはまるというべきである。

 そして、2008年4月から施行されている改正パート法の12条では、(だいたい)上のような点は努力義務ではなく、措置義務にまで高められている。また、この改正パート法においては、短時間労働者と通常の労働者との業務が同種であることも要件とはされていない。

 改正パート法における企業の義務は、通常の労働者への転換の機会を付与することについての措置義務であって、転換することまでを事業主の義務としているわけではないが、これらの措置は「一定の客観的なルールに沿って公正に運用される制度となっていなければならない」(高碕真一『コンメンタール・パートタイム労働法』)。
 また、財団は、男女共同参画推進のための団体であり、パート法について消極的な主張をすることが許される立場にはない。ところが、地裁判決は、原告に公正な機会を付与する被告の義務を全く無視しており、関係法令についての無理解に基づく誤った判断をしている(脇田意見書)

3 選考手続における不当目的(控訴人排除)について

 →1審原告最終準備書面171―172頁参照。

4 選考手続における手続違反について

(1)選考委員の選任

 ア 本郷部長について

 財団は、「本郷部長は、自らの立場を十分に自覚し、自らが選考委員になることによって選考結果に影響を与えるような言動は差し控えた」としている。しかし、候補者の一人に対して「あなたしかいない」と言っていた人物が、その後、選考委員になった段階で、急に、「選考結果に影響を与えるような言動は差し控えた」と言ってみても、信用に値しない。

 そして選考委員になれば、選考委員会において意見を述べることで合否結果に影響を及ぼしうる。本郷部長は、候補者に質問しなかったとは述べているが、選考委員会で意見を述べなかったとは一言も言っていない。

 もしも本郷部長が、選考にあたっての公正さを優先するのであれば、選考委員への就任を辞退してしかるべきであった。それをしなかったのは、選考結果に影響を及ぼすためであったことは明らかである。

 また、理事たちは、それまでの市の働きかけで先入観を持たされている状況だった。すなわち、2004年1月16日から31日にかけて、山本事務局長と武井課長は、財団の各理事を訪問して、今回の事態は「バックラッシュの影響ではないことについて理解をえる」ことを目的に説明をおこなった。その際には、このような事態に至った責任をすべて控訴人に転嫁するような説明をおこなっていただろうことは想像がつく。

 イ M委員長、H委員について

 控訴人は、この2人の委員は、2004年2月1日の理事会の欠席者であるばかりでなく、2002年度および2003年度の理事会に一度も出席したことがなく、財団の問題を自らの意思で判断しようとする意思に乏しい理事と言わざるを得ないと主張した。
 ↑
 市は「両人の理事会出席率は平均的であり、特に少なくない」と反論する。
 ↑
 ・しかし、市が「平均的な出席率だ」と主張しているのは、2000年度〜2003年度をつうじてのことであり、両人が出席したのは、2000年度と2001年度のことである。
 ・しかも、2002年度と2003年度を通して1回も出席していない委員は、この両人のほかには存在しない。この点からしても、わざわざそうした理事を選任したと言わざるをえない。

 ウ Y委員について

 →1審原告最終準備書面176―180頁参照。

(2)選考方法の違反について

 市や財団は、本件採用試験は、「選考」だから、採用要綱第8条3項(一次試験として筆記試験を実施し、二次試験として面接を行う)は適用されないから、筆記試験を必要としないと主張している。

 しかし、本件においては、選考委員会が立ち上げられている。選考委員会は「採用試験に関する事項を所掌させるため」のもの(第4条)だから、これは、採用試験を実施することを決めたということである。

 そして、その採用試験の実施について定めた第8条は、2項(志願者の公募)については「選考の場合」の但し書きがあるけれども、3項の「試験の方法」については、「一次試験として筆記試験を実施し、二次試験として面接を行う」としているだけで、但し書きは置いていない。だから、3項は選考についても適用されることは明らかである。

 また、本件は純粋の私企業ではなく、市が出資した、公的な目的を実現するために設立された財団における館長の採用である。しかもその採用については、「より客観的な判定方法により、能力の実証に基づき〜」などと「成績主義」を規定している。これは、三菱樹脂事件最高裁判決のいう「法律その他による特別な制限」が存在する場合に該当し、採用の自由を強調する原判決は、その点においても誤りである。

 ところが、市は「選考委員として選ばれた理事5名により、候補者それぞれ約20分の面接をした」から違法ではないと言う。また、財団は、本件は、「法律その他による特別な制限が存在するものではない」と言う。

 しかし、控訴人への面接は10分程度だった。また、恣意的判断が入りやすい書類審査と面接のみにした点は、「より客観的な判定方法により、能力の実証に基づき〜」に違反する。5名の合議による判定であっても、公正におこなわれる保障などなかった。また、財団が、自ら定めた要綱を「法律その他の制限」には当たらないと言うのは、不合理な主張というほかない。

5 結論

 以上の諸点から、控訴人に対する本件採用拒否は、原判決の指摘するような、新たに複数名の候補者の中から選任する手続きではなく、控訴人がすでに試用期間に相当する有期契約期間を経て雇用を継続されてきたことから、客観的に合理的な理由があり社会通念上相当として是認させる場合にしか許されないものである。

 そして被控訴人らは、客観的に合理的な理由があり社会通念上相当として是認される事情を何ら主張・立証しておらず、本件採用拒否は違法と言わざるを得ない。

 また控訴人は、改正パート法および旧パート法の指針の内容から、短時間労働者として、財団が、通常の労働者の募集を行う場合には、その内容を周知され、応募の機会を公平に与えなければならない。

 しかるに控訴人は、本件において常勤館長職採用についての情報を秘匿されたあげく、採用にあたっての選考委員会は控訴人排除のために行動してきた本郷部長が取り仕切るものであり、およそ公平な機会を与えられたとは言えず、この点においても、控訴人に対する本件採用拒否は、違法であることは明らかである。

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