ラビア・カーディルさん来日講演の記録など

(遠山日出也。2009年10月26日更新)

目次
 ラビア・カーディルさんの来日講演について私が書いた文トフティさんの救援活動ウイグル問題に関して参考になる書籍、サイトウイグル問題に思う

ラビア・カーディルさんの講演について私が書いた文

2007年の来日

 2007年の10月から11月にかけて、アムネスティ・インターナショナル日本の招きで、ウイグルの人権活動家、ラビア・カーディルさんが来日され、各地で講演なさいました。私は大阪での講演を聞きに行き、そのことを下のいくつかの記事に書きました。

ウイグルの人権活動家・ラビア・カーディルさん大阪で講演(私のブログの記事2007年11月22日)
ウイグルの人権活動家 日本に訴え(インターネット新聞JANJAN2007年12月23日掲載。編集委員選賞受賞
投書「ウイグル族活動家の講演に思う」(『毎日新聞』2008年1月17日掲載)

2009年の来日

ラビア・カーディルさん、京都で講演(私のブログの記事2009年10月26日)

 ラビア・カーディルさんは、1948年にアルタイで生まれました。改革開放後は、女性企業家として大きな成功を収め、政府の役職も多くつとめました。
 しかし、1996年と1997年、彼女が政治協商会議の席上で、ウイグル人の信教の自由や母語を使用する権利が尊重されていないこと、大量の政治犯が処刑されていることなどについて訴えたところ、全ての要職を解かれます。
 1999年、ラビア・カーディルさんは、ウイグルの人権問題のレポートをアメリカ議会代表団に渡そうとして、国家安全局に拘束されました。2000年には、判決で「ウイグル族の独立活動家に対する処罰を報じた地元紙記事をアメリカ在住の夫に送り、不法に国家に不利な情報を海外に提供した国家安全危害罪」の罪で懲役8年が確定します。
 彼女は有名人だったため、拷問は受けませんでしたが、他のウイグル人がひどい拷問を受けて呻いている声をわざと聞かされたり、実際に血だらけになったウイグル人男性を見せられたりしました。
 欧米で彼女を釈放の求める運動が広がったこともあり、2005年、彼女と夫はアメリカに亡命することができました。現在は、世界ウイグル会議の議長をしています。在米ウイグル人協会(Uyghur American Association)の会長もしており、彼女自身も国際ウイグル人権民主基金(International Uyghur Human Rights and Democracy Fondation)を創設しました。
 しかし、彼女の息子たちは、ラビア・カーディルさんのそうした活動の仕返しに逮捕され、いま獄中にあります。
 (以上は、水谷尚子さんの記事『諸君』2006年5月号[サイト「ラビヤ・カーディル ウイグルの『母』」」より]などにもとづく)。

 ラビヤ・カーディルさんの現在の活動は、民族の解放に焦点を当てたものですが、彼女の生涯は、女性やジェンダーの問題と無関係というわけではありません。ラビヤ・カーディルさんは、彼女が弾圧されたとき、彼女が起こした「千の母親運動」(女性の起業に対して援助をする活動)が潰されたことを非常に残念がっています。上のサイト「ラビヤ・カーディル ウイグルの『母』」に収録されている、ラビヤ・カーディルさんと娘アクダさんのインタビューの翻訳を読むと、彼女の願いは、ウイグル人の女性も、夫や息子に頼るのではなく、自分たち自身が力をつけて立ち上がってほしいということのようです。

トフティさんの救援活動

 東京大学大学院に在学中だった新疆ウイグル自治区出身の留学生トフティさんが一時帰国したところ、ウルムチ市内で逮捕され、「国家分裂扇動罪」などにより1999年、懲役11年の判決を受け、現在服役中です。
 しかし、トフティさんのしたことは、現在の中華人民共和国の法律に照らしても犯罪には該当しないことでした。彼は、国家の分裂を扇動するような思想の持ち主でもありませんでした。
 現在、東京大学やアムネスティなどを中心に救援活動がおこなわれています。
 東京大学教官有志と「トフティーさんの復学を求める会」が署名活動をしていますので、ご協力ください。
「トフティさんを救おう」(東京大学・東洋史学研究室)
トフティさんの復学を求める会

ウイグル問題に関して参考になる書籍、サイト

ラビア・カーディル著(熊河浩訳、水谷尚子監修)『ウイグルの母 ラビア・カーディル自伝』(ランダムハウス講談社 2009年)
 「グレートゲーム」と偽りの約束
 砂漠への追放
 故郷から遠く離れて──短い幼年時代と少女時代
 プロレタリア文化大革命──伝統の破壊、人間関係の破壊
 必要は発明の母──洗濯女から億万長者へ
 大恋愛と壮大な目標
 崇高な目標、膨大な利益、そしてつらい仕打ち
 道は歩くことで開ける──商人と政治家としての新しい展望
 背を丸めない人だけが、まっすぐ歩くことができる
 歯に衣着せぬ物言い──マフィア、殺人、その他の犯罪
 「厳打」──状況が先鋭化する
 勇気が翼を授けてくれる──「われわれが必要としているのは平和なのです」
 逮捕──塀の中の数年間
 政治的再教育──共産党における高尚な道徳について
 「私はワシのように出るだろう」

水谷尚子『中国を追われたウイグル人』(文芸春秋社 2007年)文春新書
 第1章 ラビア・カーディル――大富豪から投獄、亡命を経て東トルキスタン独立運動のリーダーへ
 第2章 ドルクン・エイサ――「世界ウイグル会議」秘書長
 第3章 イリ事件を語る――アブドゥサラム・ハビブッラ、アブリミット・トゥルスン
 第4章 シルクロードに散布された「死の灰」――核実験の後遺症を告発した医師アニワル・トフティ
 第5章 グアンタナモ基地に囚われたウイグル人たち
 第6章 政治犯として獄中にある東大院生――トフティ・テュニヤズ
 いずれの章も、ウイグル人の亡命者の貴重な証言を集めています。

毛里和子『周縁からの中国』(東京大学出版会 1998年)
 第1章 清朝期・民国時代の辺境政策
 第2章 現代中国の民族政策の核心
 第3章 民族は作られる――民族識別と中華民族論
 第4章 民族政策の軌跡――1950―80年代
 第5章 市場経済とエスノ・ナショナリズム――民族問題の現段階
 第6章 内外モンゴル統合の試み
 第7章 「東トルキスタン共和国」をめぐって
 第8章 1959年チベット反乱考
 終章 中国政治と民族問題――周縁から何が見えるか?
 こちらはやや古い本ですが、主に中国語資料から中国の民族政策に迫った著作です。その意味では水谷さんの本と対照的ですが、手堅い著作です。
 私がウイグル問題に初めて関心を持ったのは、学生時代に毛里さんの論文を読んだ時です。私は、そのときに、1957年の反右派闘争以降、中国の体制の一元的性格がエスカレートしたと同時に、ウイグル民族の独自利益に対する抑圧が強化されたことを知って、少数民族の視点は、その民族にとってだけでなく、その民族が生きている国家や社会全体のあり方を問い直すものであることを感じました(どこの国でもそうですが)。

 新疆やウイグルに関する研究サイトとしては、新疆研究サイト(ウイグル歴史文化研究会)があります。ネット上からも新免康「新疆ウイグルと中国政治」(『アジア研究』Vol.49,No.1[2003年])(PDFファイル)や科研費研究プロジェクト「中央アジアにおけるウイグル人地域社会の変容と民族アイデンティティに関する調査研究」の概要が読めます。

 そのほか、ブログ「真silkroad?」の右側に挙げてある書籍はいずれもしっかりしたもののようですので、そうしたものも少しずつ勉強していこうと思います。
 サイト「東トルキスタンに平和と自由を…」同サイトのブログ)も、ウイグル問題をテーマにしておられます。こちらのサイトは、何人か方が共同でやっておられるのですが、こちらにも有用な情報がいろいろ掲載されています。ビジュアル面にも力を入れておられます。

 中国政府や中国の報道機関のサイトとしては、新疆維吾尓自治区人民政府新華社新疆頻道天山網(新疆日報など)、中国新疆網があります。

ウイグル問題に思う

 以下、ラビア・カーディルさんの講演を聞いたり、ウイグル問題について少しだけ勉強して考えたことを、ごく初歩的で素朴な内容ですが、書いてみます(遠山日出也)

右派・保守派に対する疑問点
 水谷尚子さんは、『中国を追われたウイグル人』の「あとがき」で、「これまで筆者のレポートに関しては、『保守派』『愛国者』を自認する方々から特に強い関心を示していただいた。ただ、気になっているのは、この問題が『敵の敵は友』的な発想から『中国を叩くための材料』として扱われることも少なくないことである」と述べておられます。私も、右派や保守派の人々は、ウイグル問題を、中国を叩くのための単なる「ネタ」にするだけで、ウイグル問題自体に対しては何もやらないことが多いと感じています。また、何かやっている場合でも、「反中国」という目的のためにやるというのでは、当事者であるウイグル人自身の要求や人権とはズレが生じる危険があるでしょう。政治情勢が変われば、「友」でなくなるかもしれません。

 非常にまずいと私が思うのは、偏狭な日本ナショナリズムの立場から、単なる中国叩きのネタとして扱っている人々で、そうした人々が具体的にやっているのは、日本の戦争責任否定や「慰安婦」バッシングであったりします(「河野談話白紙撤回」の署名運動というようなものまであった)。そうした人々がやっていることは、それ自体が人権侵害であるだけでなく、日本の良識ある人々や中国の一般の人々の不要な反発を招く効果も持つように思います。

 日本でウイグル問題について最も熱心に取り組んでおられる水谷さんや、ラビア・カーディルさんを日本に招聘して中国政府への抗議葉書を出す運動をしたアムネスティは、以上で述べたようなこととは無縁です(もちろん、右派・保守派でも全然ない)。また、インターネット上においても、ウイグル問題について粘り強く専門のサイトやブログを運営している方々には、以上で述べたようなことはあまりないと私は思います。

 小坂英二氏(荒川区議会議員。「新しい歴史教科書」の採択や小泉首相[当時]の8月15日靖国参拝を要求してきたタカ派議員)が、水谷さんの記事を引き合いに出しつつ、「大東亜戦争」肯定の立場から、ブログで「支那における東トルキスタン虐殺の実態!」と題するエントリーを立てて、日本のマスコミがウイグル問題を取り上げないことを批判したことに対して、水谷さんは、「支那」という蔑称などを批判するとともに、「あなたのような狭隘な視線でしか、事象を見ない者に『利用』されがちになるから、『書き手』は書くことをためらうようになる。私のやっている仕事は、まさに『綱渡り』です」と述べておられます(小坂英二氏のブログのコメント欄)。
 実は、私の場合も、毎日新聞に上のささやかな投書をした際、「私の投書が掲載されても、今の状況の下では、ウイグルの人々の役に立つというよりも、『中国ってやっぱりひどい国だ』というような受け止め方しかしない人が多いのではないか?」という懸念がありました。しかし、ラビア・カーディルさんの訴えを知らせることを優先して投書に踏み切ったのですが、今でもそうした懸念を持っていますので、変な形でウイグル問題を利用をする立場には反対するという意味もこめて以上のことを書きました。

 ただし、念のために述べておけば、どんな立場の方であれ、ウイグル問題を取り上げる以上は、そこにウイグルの人々への共感や人権抑圧へ憤りが含まれている場合が多いと思います。ですから、マスコミに載りにくい情報を広めておられること自体は良いことだと思いますし、署名運動などをする上で協力することは大切だと思います。

左派・革新派こそ取り組むべき課題なのでは?
 では左派・革新派はどうかというと(私はこちらの方ですが)、こちらはウイグル問題に対する関心がそのものが弱い。たしかにウイグル問題は、現在、左派・革新派が取り組んでいる日本の戦争責任の問題や米軍の問題、イラク戦争の問題などと比べれば、日本は、直接の加害者or被害者という面は弱いように思います。そのぶん、日本の政府や日本国民にできることも少ないという面はあるかもしれません(注1)

 (1)しかし、ラビア・カーディルさんが日本にいらっしゃって、上でリンクした記事に私が書いたような深刻な実情を訴えて回られたのに、それに何も応えないでいいのか? 今は少し無関心すぎるのではないかと思います。もちろん、ラビア・カーディルさんもさまざまな制約がある中で活動されているのですから、その発言のすべてが正確だとは言えないでしょう。ですから、絶対視する必要は全然ないのですが、何かきちんとした対応が必要ではないかと思うのです。
 ラビア・カーディルさんは、「私は監獄にいたときは、民主の力というもはもはや存在しないと考えていました。しかし6年後アムネスティ・インターナショナルを初めとする国際組織の力によって、民主の力で監獄から解放されることになり、私も考えが少し変わりました」と語っておられました。こうした国際的な民主主義の力を強めるために、日本の私たちも何かをする責務があるのではないでしょうか。

 (2)とくにウイグル問題は、現在は中国国内で訴えをおこなったり、運動をすることは不可能に近いということを考えれば、とにもかくにも訴えたり運動をする自由がある私たちが、できることをすることは当然のことのように思います。もちろん在外のウイグル人の方々は世界にいらっしゃるわけですし、その方々が運動の主人公であって(本当は中国国内にいるウイグルの人々も含めて――(注2))、日本人はその方々の意思を尊重することが重要ですが、在外の方はなんといっても数が少ないので、私たちも何らかの形で協力することが大切だと思うのです。

 (3)また、欧米の国々にとってもウイグル問題はかなり遠い問題ですが、日本に比べて、欧米のマスコミはこの問題についての報道もしっかりしていて、政府や議会はウイグル問題に関して決議をあげるなどのこともおこなっています。日本の場合は、中国との関係が良かれ悪しかれ密接なだけに、さまざまな意味で独特の困難があることは確かですが、日本の人権意識の水準が問われる問題のようにも思います。
 この点と関連しますが、水谷さんによると、日本でウイグル問題の報道が少ないのは、欧米に比べて日本が亡命者を受け入れないこととも関係があるようです。水谷さんは、先述の小坂氏が、日本のマスコミがウイグル問題をあまり取り上げないことを批判したのに対して、「あなたが政治家なら、マスコミを批判する前に、亡命者を受け入れようとしない日本国を変える努力をして下さい。欧米のメディアが日本よりこの問題を多く報道しているのは、政治的弾圧によって国を離れなくてはならない人々が『国内』に多くいるからこそです」と訴えています。こうした点を含めて変えていくことも大切だと思います(こうした点については、すでに取り組みはありますが)。

 (4)また、「日本は直接の加害者or被害者という面は弱い」と書きましたが、日本の対中援助についても、その内容によっては、ウイグルに対する抑圧に加担することになる場合もあることにも注意すべきでしょう。

何ができるのだろうか?
 といっても、私にも運動の展望があるわけでもなく、すぐに運動団体を組織するような力も余裕もありません。
 ただ、以下のようなことはやってみたし、今後もやっていきたいと思いますので、皆様にも協力を呼びかけたいと思います。
 ・ウイグル問題に関して、文章を書いたり投書したりして訴える(or訴えを紹介する)ということ。
 ・獄中の政治犯的な人々に対する釈放要請署名・ハガキ(トフティーさん、ラビア・カーディルさんのお子さん[ラビア・カーディルさんのお子さんについては、アムネスティの方が、釈放要請ハガキを彼女の講演会場で配布しておられました])
 ・上記のサイト「東トルキスタンに平和と自由を…」には、「貴方たちにできること、してほしいこと」というコーナーがありますが(「質問集」のページの下のほう)、そこでは、上記の国際ウイグル人権民主協会などへの募金も、支援の方法として挙げられています。問題の当事者にお任せするというのも一つの考え方ですので、私は募金は有用だと考えています。もちろん上の協会も、すべてのウイグル人を代表しているわけではないですし、サイトの内容を読んで納得してから募金しようと思います。

 長期的な課題としては、以下のようなことを考えています。
 ・上でも触れたことですが、日本の対中援助のあり方を検討し、それに基づく要求をつくる。たとえば、この点について、上で触れたブログ「真silkload?」をやっておられるkokさんは、日本が最大の資金出資国になっているアジア開発銀行の新疆ウイグルにおける道路整備プロジェクトが、ウイグル人に対する抑圧になっているのではないかという問題提起をしておられます(「中国内陸インフラ整備への投資という名のもとで」)
 ・できれば日本の国家レベルでも、ウイグル問題に対応できればよいと思います(アメリカ議会のように、日本の国会でも対中決議を上げるなど)。ただ、私は、日本の場合は、その前に中国に対する日本の戦争責任問題を明確にし、戦後補償問題を解決しなければ(たとえば日本軍「慰安婦」問題について言えば、教科書の記述の復活、慰安婦への個人補償法案の成立など)、国際的な説得力が不十分になる危険があるように思います。ただし、たとえいかなる状況でも、ウイグル問題に対して日本としてモノを言った方が、ウイグルの人々のためにプラスになるとは思います。なお、この点に関しても、上で水谷さんが述べているように、国内に亡命ウイグル人を受け入れているかどうかという点が、国家レベルで対応が迫られるか否かに関係してくるのかもしれません。
 ・国家レベルのことは難しくとも、自分たちの属している団体が何らかの学習やアクションをするように努力することも大切でしょう。

 なお、水谷尚子さんは、上の「あとがき」で、ネット上でウイグル人のためにアクションを起こそうとする人々が、しばしば民族問題の政治・歴史的背景を十分理解せずに、簡単に手に入る情報だけに頼っていること、中央アジアや新疆の歴史を専門にしている研究者の地道な学術的論考に目を向けないことを批判しておられます。
 たしかに市民運動は、どのような運動でも、自分たちが取り組んでいる問題に関する法律や政治、社会的な背景についての学習を重視しています。取り組んでいるのが、自分たち自身が直面している日本の問題であってもそうなのですから、まして、はるかかなたの異民族・異文化の問題(しかも、情報の検証も容易でない問題)に取り組むためには、意識してそうした勉強をしなければ、せっかくの善意の発言や行動が、独善的なものに陥る危険があるように思います。
 私自身、ウイグル問題の理解はまったく不十分ですので(ネット上でアクションを起こしている方々は、私よりは多かれ少なかれ勉強されている方が多い)、今後少しずつ勉強していこうと思います。
 もちろんアクションをする人のすべてが学問上の専門家になる必要はないでしょう。その意味では、水谷さんがおっしゃることに加えて、中央アジア・新疆の専門家と一般市民(とくにアクションを起こそうとする人)との協力、専門家から一般市民への支援や助言(苦言も含めて)も必要なのではないでしょうか。専門家は、研究上の都合などで、公然とした活動は難しいと思いますが……。

 以上で書いたことは、とても拙く、不十分なものです。とくに「何ができるか」という点に関しては、何かするべきだと思いつつも、あまり展望が見えていません。それ以前に、単にこうした議論をするだけでも、私は、なにか、日本の中国論全体が抱える困難につながるような種類の困難に直面しているような気がします。今後、上で述べた点に関して、さらに考察を深め、このページを充実したものにしていこうと思います。

 (注1)その意味では、左派や革新派がウイグル問題を少ししか取り上げないからといって、必ずしも彼らがダブルスタンダードだとは言えない面があります。また、水谷さんやアムネスティは、どちらかというと左派・革新派のほうでしょう。しかし、組織的な対応は弱い。左派・革新派の一部には、中国の現状に対してやや楽観的すぎる見方も存在しているように思います。また、理論的な次元で言えば、「(国民)国家」や「内政不干渉」、「民族自決権」などに関わる理論的諸問題が十分詰め切れていないことも問題かもしれません(もちろん私自身も詰め切れていません)。
 (注2)たとえば、中国からの独立という問題に関して、ラビア・カーディルさんは、「私が指導している諸組織は、ひとまずは人権弾圧の状況を改善することを目指し、現地の人々が自由や民主を認められた時点で、独立するかどうかは、人々の判断にまかせる」(大阪での講演より)という方針を語っておられます。

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